ウエストファリア条約体制の危機
30年戦争を終わらせるために1648年に締結されたのがウエストファリア条約である。
この条約によって国家主権という概念が確立されたとされる。
一言で言えば、国の大小にかかわらず国家主権は等しく存在し、神聖にして犯してはならないという考えで、ウエストファリア(条約)体制と呼ばれるものである。
従来、力に任せて領土を奪っていたが、国家という概念が確立すると、いくら力があっても勝手に奪えなくなったのだ。
ウエストファリア体制以降、今日まで守られてきた国家主権や国際慣行を一人の人間が思いのままに変え得るとなると、国際社会は混乱しカオスに陥るのではないか。
いま改めて国家主権とは何か、国際慣行はなぜ大切かなど大いに考えなければならない時に至っているのではないだろうか。
そして、いかに権力者の言とはいえ、混乱をもたらすことには明確にノーと言わなければならない。
Make America Great Again(MAGA、アメリカを再び偉大に)を叫び、内政や外交にメスを入れることは米国の憲法や法律などが定める大統領の権限範囲であろう。
しかし、デンマークやパナマに他国(ロシアや中国?)の影響が及んでいたにせよ一方的に米国の管轄下に置くという物言いは、他国の国家主権を蔑ろにし、権力や国家の威力をカサに着た暴言でしかないだろう。
国連という国家の合議体において、14億人超の人口を持つ中国や27兆ドルを超えるGDP(国内総生産)の米国と1万人前後の国(ツバルなど)、1億ドル(サントメ・プリンシペ民主共和国)にも満たないGDPの国も同じ1票の権利を有する。
これが今日の国家主権概念であり、ビスマルク時代と同じ認識でいいはずはないであろう。
おわりに
トランプ氏は改めて日米同盟の不平等を訴えた。
領土の貸与と米軍兵士の戦死は交換条件にならないという見立てであろう。日本的思考の歪が指摘されたと見ていいだろう。
兵士の命はかけがえのないものだ。カネで済まされないことを日本は湾岸戦争で十分に知り得た。
日本ほどの経済力や人口を有する国が同盟を結ぶにあたっては、やはり人的貢献が加味されるのが当然であろう。
国内的には憲法の制約と言って済ますことができても、国際社会ではなかなか納得が得られない。
トランプ大統領の言動から見る限りにおいて、尖閣諸島の防衛どころか、核の拡大抑止さえ疑わしくなったと見なければならないであろう。
トランプ大統領の頭にはディールという意識しかなく、ディールの尺度では測れない同盟(や友好国)、さらには自由や民主主義といった形而上の価値観がほとんど除外されているように思える。
日本は米国と同盟関係を維持するとした上で、なお冷静にしっかりした思考を巡らすときではないだろうか。