少子化が止まらない(写真:ucchie79/Shutterstock.com)

(立川 談慶:落語家、著述家、筋トレ愛好家)

 いやはや、人口減少に歯止めがかかりません。厚生労働省が2月27日に公表した人口動態統計の速報値によると、2024年の日本人の出生数が初めて70万人を割る公算が強まったとのこと。24年1~12月に生まれた赤ちゃんの数は、前年比5.0%減の72万988人。これには外国人が含まれるため、日本人だけに限れば70万人割れの可能性が大きいそうです。

 少子化の原因としては、あれこれ指摘されております。教育費やら住宅費やら、共働きが一般的になってもますます経済的負担は大きくなるばかり。給料がまともに上がらないなか社会保険料が増え続け、「子育てなんで無理ゲーだ」などという主張もよく聞かれます。

 女性のキャリア志向による晩婚化や未婚率の上昇、その一方でいまだ育児や家事は女性まかせという考え方も十分に変わっていません。働き方改革といっても仕事中心のライフスタイルはどこまで改善されたでしょうか。

 さらにはコロナ禍による価値観の変化や昨今の物価高など、さまざまな要因が複雑にからみ合っていると言えましょう。結婚、そして出産・育児をめぐる後ろ向きな指摘を上げればキリがありません。

 少子化が止まらない日本の未来に思いをはせると、もはや恐怖すら感じます。

 しかし、未来はそもそも予測不可能です。落語『弥次郎』の中には「あてごとと褌(ふんどし)は向こう側から外れる」という見事なことわざが出てきます。ようするに、こちらが予測したり、あてにしたりすることは、まったく思い通りにならないということです。きっと、少子化もどこかで「下げ止まる」ことを願うのみであります。

 ただ、それでも、当面の少子化、人口減少は避けられないのだとしたら、現実を受け入れつつ、与えられた条件の下でどうやって楽しく、心豊かな社会を作っていくかを考えるべきではないかと、私は思うのです。

 まあ、落語家という無責任な生き方をしている身だからこその考えかもしれません。それでも、落語が数百年の歴史のなかで庶民に愛されてきた背景には、そこに大衆として人生を謳歌するための一つの真理が隠れているからではないでしょうか。

 実際、少子化・人口減少という、一般的には暗く絶望的なイメージで捉えられる未来を明るく照らしてくれる灯になりそうな、うってつけの落語があります。

 それが『長屋の花見』です。