まちが消えてしまう不安との戦い

 いわゆる「迷惑施設」の誘致には困難が伴うことが珍しくない。原発から出される使用済み核燃料など高レベル放射性廃棄物の最終処分場は日本にまだ存在しない。政府は受け入れ自治体を募っているものの、北海道の寿都町と神恵内村が建設に向けた「文献調査」を実施しているが、それに続いて調査の受け入れを表明した自治体は佐賀県玄海町のみだ。

 北海道の2町村は文献調査の受け入れを決めた際、調査の受け入れが国内に広く波及することを期待していたが、そんな状況には至っていない。

 伊澤氏は寿都や神恵内とも連絡を取りながら、理解を広げる方策を考えていることを明かしたが、放射性物質に対する警戒感は国民の間に根強く、原発事故から14年を経た今も大きく転換してはいない。

 双葉町の復興はまだまだ途上だ。町役場庁舎やJR双葉駅のある中心部は、除染を施した上で避難指示が解除されたものの、今も町の85%は帰還困難区域に指定されており、人は住むことが許されない。東日本大震災の前に7000人を超えていた住民も、ほとんど双葉町に戻っていない。帰還したのはわずか140人ほどだ。

 震災直後、双葉町は役場機能を埼玉県加須市の閉校した高校の校舎に移し、いつ帰還できるかの見通しもないまま、各地に避難した町民との連絡に追われていた。筆者が空き校舎の役場を取材した際、避難民は教室の硬い床に敷物を敷いて語り合ったり、水飲み場の水道で洗濯したりしていた。その姿はテレビや新聞でも大きく報じられたが、国民はまだ記憶しているだろうか。

 伊澤氏には過去2回取材する機会があった。最も顔を輝かせたのは福島復興再生特別措置法が2017年に改正され、帰還困難区域であっても一定の条件を満たせば帰還が可能になったことだった。「これで前に進める」と町長室でまちづくりの計画図を広げ、将来像を説明してくれたこともある。

 町は2016年から3次にわたり復興まちづくり計画を策定、医療や福祉などを含めた生活再建、商工業や農業の再興、産業誘致などの政策を掲げてきた。しかし、若い世代の帰還は進まず、小中学校も再開できていない。双葉町のこの14年間はまちが消えてしまいかねない不安との戦いだった。

 伊澤氏は除染土壌の再生利用受け入れに関し、こう言った。

「少しでも大変さを分かち合うことが大切だと言いたかったのです」

西村 卓也(にしむら・たくや)
フリーランス記者。札幌市出身。早稲田大学卒業後、北海道新聞社へ。首相官邸キャップ、米ワシントン支局長、論説主幹などを歴任し、2023年からフリー。日本外国特派員協会会員。ワシントンの日本関連リサーチセンター“Asia Policy Point”シニアフェロー。「日本のいま」を世界に紹介するニュース&コメンタリー「J Update」(英文)を更新中。