2度目の黄金時代の旗振り役は常務取締役編成制作局長や専務などを歴任した鈴木克明氏(66)。今でも人気の『めざましテレビ』(1994年)をつくりあげた人でもある。
社長候補だったが、2017年に系列局のテレビ西日本(福岡市)の社長に転じ、今では同社も離れた。
「鈴木氏も日枝氏のおぼえが悪くなった。アグレッシブな男で業績不振時にこそ活躍が期待できそうな人物だった」(フジ関係者)
局長以上の人事は日枝氏の一存で決まる。360度評価とは懸け離れている。日枝氏による人事権の独占が、業績不振と不祥事体質を招いた2つ目の理由にほかならない。
「現状では若く優秀な人材が抜擢されにくいし、チャレンジ精神も育ちにくい」(フジ関係者)
「一緒に辞めましょう」日枝氏に退任迫った男
一方で日枝氏に退任を促す人間もいない。かつては違った。日枝氏が会長だった2007年、01年から後任社長を務めていた村上光一氏(84)が、自分の退任時に「一緒に辞めましょう」と勧めたという。
いわば日枝氏を道連れにしようとした。村上氏はスマートなインテリだったが、腹が据わっていた。映画『吉原炎上』(1987年)を手掛けた無頼派監督・故五社英雄監督の直属の部下だった。
だが、日枝氏は辞めなかった。村上氏以降の7人の社長は日枝氏の部下のような存在。日枝氏は40年近く1人でフジの舵取りを行っていることになる。87歳の老人に引導を渡せる人物の不在が、業績不振と不祥事体質を招いた3つ目の理由だろう。