「アタマは使うが心痛はしない」(江崎利一)

 1粒で2度おいしい──。わかりやすく記憶に残る名コピーを考案したのは、グリコを創業した江崎利一である。19歳で亡くなった父の跡を継いで、家業の薬種業に携わった。

江崎利一氏江崎利一氏(写真:共同通信社)

 33歳で初めて自分のアイディアでビジネス展開を行った。空き瓶の再使用に着想を得て、葡萄酒業を開始。2年後には九州における葡萄酒の販売高でトップクラスに輝いた。

 しかし、江崎の人生を思えば、大成功に至るほんの序章に過ぎなかった。

 40歳のときに「グリコ」を販売するとたちまち大ヒットとなる。3年前に煮汁からグリコーゲンの成分を発見し、病に伏していた長男に飲ませると見事に回復。そんな経験から「栄養菓子」という発想が生まれたことがきっかけだった。

 商道ひとすじに歩んだ江崎のポジティブな言葉がこれである。

「アタマは使うが心痛はしない」

 くよくよと過去を振り返ることなく、新しいことを生み出すためにこそ、頭を使おう。ちなみに、解説冒頭にある「アーモンドグリコ」のコピーを江崎が考えたのは、73歳のときのことだった。

「任天堂が市場を創り出すんですよ。調査する必要などどこにもないでしょう」(山内溥)

 任天堂の元社長・山内溥が、社長に就任したのは、早稲田大学法学部に在学中の22歳のときだ。2代目社長の祖父が急死したためである。今でこそ次世代機「Nintendo Switch」で知られる任天堂だが、当時は小さなトランプ・カルタメーカーに過ぎなかった。

任天堂の山内溥氏山内溥氏(2002年撮影、写真:共同通信社)

 しかし、山内がゲーム&ウォッチでヒットを飛ばすと、任天堂はゲームメーカーとして次々とムーブメントを仕掛けていく。家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」はあっという間に知れ渡り、ソフトと同時に爆発的に売り上げを記録。その後もゲームボーイ、スーパーファミコンとハード機を次々と投入した。ゲーム業界を常にリードしてきた山内溥。市場に対する考え方が、次の言葉には表れている。

「任天堂が市場を創り出すんですよ。調査する必要などどこにもないでしょう」

 退任後は中途入社2年目、42歳の岩田を社長に大抜擢。3代続いていた一族経営に終止符を打って周囲を驚かせたが、アウトローな山内らしい判断だと言えるだろう。

(文中敬称略)

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『逆境に打ち勝った社長100の言葉』から、8人をピックアップして、その言葉を紹介した。

『逆境に打ち勝った社長100の言葉』(真山知幸著/彩図社文庫)

 言葉一つで物事の捉え方が変わり、行動が変わっていき、習慣も変化していく。名経営者が、困難にぶち当たったときに、どのように考えたのか。名言を通じて、その思考法をインストールしておくと、いざピンチを迎えたときに慌てなくても済むかもしれない。

 どんな規模の組織であっても、率いるリーダー職は苦労が多い。名経営者による言葉の数々に触れながら、まずは発する言葉から、現場のモチベーションが上がりやすいものになっているかどうか、チェックしてみてはどうだろうか。

【真山知幸(まやま・ともゆき)】
著述家、偉人研究家。1979年、兵庫県生まれ。2002年、同志社大学法学部法律学科卒業。上京後、業界誌出版社の編集長を経て、2020年より独立。偉人や名言の研究を行い、『偉人名言迷言事典』『泣ける日本史』『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたか?』など著作50冊以上。『ざんねんな偉人伝』『ざんねんな歴史人物』は計20万部を突破しベストセラーとなった。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義、宮崎大学公開講座などでの講師活動も行う。徳川慶喜や渋沢栄一をテーマにした連載で「東洋経済オンラインアワード2021」のニューウェーブ賞を受賞。最新刊は『偉人メシ伝』『あの偉人は、人生の壁をどう乗り越えてきたのか』『日本史の13人の怖いお母さん』『文豪が愛した文豪』『逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ』『賢者に学ぶ、「心が折れない」生き方』『「神回答大全」人生のピンチを乗り切る著名人の最強アンサー』など。