「すぐ役立つ人間は、すぐ役立たなくなる」(藤原銀次郎)

 製紙王・藤原銀次郎は、16歳のときに長野県から上京し、福沢諭吉の門下生として慶応義塾に入学。卒業後は松江日報に入社して主筆となるが、経営不振によって辞任。三井銀行大津支店に移って営業成績を上げた後、富岡製糸場の支配人となり、出来高払いの導入などで現場労働者の不満を解消させた。

実業家の藤原銀次郎氏藤原銀次郎氏(1943年撮影、写真:共同通信社)

 そんな実績を買われて、経営不振の王子製紙の再建を託されたのは42歳のとき。自宅を抵当に入れるまでして自ら株を引き受けると、かつての部下を引き入れながら、主体を新聞用紙に転換することで、赤字続きだった経営を立て直した。1920年、王子製紙の社長に就任し、日本の製紙業において9割のシェアを占める一大企業へと成長させた。

 私財を投じて藤原工業大学を設立するなど、人材育成も積極的に行った藤原の言葉がこれである。

「すぐ役立つ人間は、すぐ役立たなくなる」

 便利な人材ではなく、長く必要とされる人材へと成長していこう。

「60点主義にして、80点を狙わせる」(島村恒俊)

 価格の圧倒的な安さだけではなく、近年はファッション性も評価されている「ファッションセンターしまむら」。全身コーディネートする若者は「しまラー」と呼ばれるなど、今や若い女性から支持される人気ブランドとなった。

しまむら・アベイル・バースデイのさいたま新都心店しまむら・アベイル・バースデイのさいたま新都心店(2023年撮影、写真:日刊工業新聞/共同通信イメージズ)

 運営する株式会社しまむらを創業したのが、島村恒俊である。

 島村は戦後すぐに両親から引き継いだ島村呉服屋を法人化。埼玉県で3店舗展開した後に、県外へと飛び出して勝負に出た。全国47都道府県すべてに出店したのは、2002年のことである。

 まだ経営に余裕がないときから、従業員教育への費用を惜しまず、経営セミナーにも積極的に派遣した。人材育成に重点を置く島村が、よく口にした言葉がこれである。

「60点主義にして、80点を狙わせる」

 ひたすらハードルを上げるだけでは、モチベーションも下がってしまう。「達成感」というかけがえのない報酬が、従業員の積極性を生み出していく。