「成功の陰には必ず失敗がある」(柳井正)

 入社して数カ月で会社を辞めてしまう若者が増えているという。ユニクロを創業した柳井正も、かつてはそんな若者の一人だった。

 早稲田大学政経学部を卒業後、ジャスコに入社するが、どうにも働く気がしない。たった1年足らずで会社を辞めてしまい、友人宅に転がりこんでは、友人が出勤する様子をむなしく眺めていたという。

「このままではいけない」と実家に戻り、家業の紳士服専門店を一手に任されたことで、運命が開ける。1984年に、カジュアルウェアの小売店「ユニクロ」の第1号店を広島県にオープンさせ、社長に就任。知名度がゼロだったため、学生の登校前である朝の6時30分に店を開けて、話題をつくった。

ファーストリテイリングの柳井正氏柳井正氏(写真:Blondet Eliot/ABACA/共同通信イメージズ)

 常識を覆す価格設定とブランド戦略で、不況のなかでも売り上げを伸ばし続けているユニクロだが、農業分野への進出などの失敗もあった。

「一直線に成功ということはほとんどありえないと思う」と言った後に、柳井が続けた言葉がこれだ。

「成功の陰には必ず失敗がある」

 挫折した経験が大きな実りへとつながっていく。

「人生をマイナスから出発したと考えれば、あとは右肩上がりのプラスで行くしかない」(宗次德二)

 宗次德二は1948年、石川県に生まれるが、生後間もなくして、兵庫県尼崎市の児童養護施設に預けられた。3歳のときに養子として引き取られるが、養父のギャンブル狂により、極貧の幼少期を過ごした。

 高校卒業後は、不動産関連の会社に入社。結婚を機に独立を決意する。初めは不動産仲介業を行っていたが、妻がメインとなって開業した喫茶店を手伝っているうちに、飲食業に目覚めた。喫茶店のメニューで人気のあったカレーライスで勝負しようと、1978年に「CoCo壱番屋」の1号店をオープンさせた。

宗次德二氏(2013年撮影)宗次德二氏(2013年撮影、写真:共同通信社)

 その後、1988年に100号店を出店すると、6年後の1994年には、47都道府県へ出店を果たし、300店舗を達成している。2024年時点では、グループ店舗を含め1200店以上を展開しているというから、すさまじい成長である。

 国内最大のカレーチェーン店を築いた宗次による、逆境に負けない言葉がこれだ。

「人生をマイナスから出発したと考えれば、あとは右肩上がりのプラスで行くしかない」

 真のプラス思考は、究極のマイナス思考から始まる。