記者の“目利き”はどこまで正しいか
メジャーでも、今回の1票を巡り、米メディアの記者が「バカ者よ、名乗り出ろ」などと“同僚”を批判する声が出ている。米経済誌の「フォーブス」も投票の透明性から記者名の公開を提言する。20年にヤンキースの元主将で5度のワールドシリーズ制覇に貢献した通算3465安打のデレク・ジーター氏がやはり満票に1票届かなかったときにも、インターネット上で投票しなかった記者を詮索する動きがあった。
メジャーでは、MVPやシーズンの最優秀投手を称える「サイ・ヤング賞」は投票した記者が公表される。ただ、スポーツニッポンの記事によれば、殿堂は無記名による投票を堅持する方針で、投票する記者が外部からの圧力を受けることなく、自由意志で投票する環境を保障するためだとしている。
実際のところ、記者の“目利き”はどうなのか。プロ野球取材歴の長い記者といえども、野球経験の有無や取材で重点を置くテーマ、担当球団などは千差万別だ。毎年の新人王やベストナイン、ゴールデングラブ賞などの記者投票に際しても、投票の根拠は記者個人に委ねられている。
記者による投票の基準は尊重されるべきというのがこれまでの慣例だが、公表された投票結果がファンの期待と異なると、「人気投票」や「担当球団の選手をひいきした」などと批判の声が挙がることもある。近年はSNSなどで既存メディアに対する不信感が高まっており、記者による投票結果がファン感情と一致しなかったり乖離したりすると、一層のメディア批判へとつながる懸念もあるだろう。
毎年、殿堂入りをめぐる投票が行われるこの時期になると、投票した記者名をオープンにするべきかをめぐって議論が絶えない。そもそも、日々のスポーツニュースを報じることを目的に取材をしている記者が、ニュースとなる表彰に関与(投票)することは、公平性を重んじるメディアの姿勢として問題ないのか。米国では近年、そもそも記者の投票を禁止していたニューヨーク・タイムズのほか、複数の有力紙が記者投票を辞退する動きも出ている。
殿堂入りが優れた選手に歴史に残る評価を与えることが目的なら、必ずしも記者だけにこだわる必要はもはやないかもしれない。プレーをめぐる様々なデータが公開されているなか、ファンでも的確な判断ができる可能性もある。記者はファンの“代理”を務める役割も担っていると考えるのなら、その是非を一考に値する時期にきているとは言えまいか。
田中 充(たなか・みつる) 尚美学園大学スポーツマネジメント学部准教授
1978年京都府生まれ。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程を修了。産経新聞社を経て現職。専門はスポーツメディア論。プロ野球や米大リーグ、フィギュアスケートなどを取材し、子どもたちのスポーツ環境に関する報道もライフワーク。著書に「羽生結弦の肖像」(山と渓谷社)、共著に「スポーツをしない子どもたち」(扶桑社新書)など。