イスラエルが核を保有するに至った経緯
──本書では、イスラエルの核兵器保有に関しても言及されています。
船津:1968年に核兵器不拡散条約(NPT)の署名が始まり1970年に発効しました。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国を「核兵器国」として、それ以外を「非核兵器国」としました。
締約国数は191国・地域で、インドやパキスタンは未加盟。北朝鮮は脱退を宣言していますが、イスラエルは最初から未加盟です。イスラエルは、アメリカではなく、戦中の収容所体験を共有するフランスの左派から協力を受けて、秘密裏に核兵器を製造しました。
1956年にスエズ動乱が勃発します。その時に、アメリカとソ連が一緒になって、イギリス、フランス、イスラエルのエジプトへの侵攻を糾弾しました。この時に、イスラエルのダヴィド・ベン=グリオン首相は、核兵器の製造を企みました。広島に原爆を落としたマンハッタン計画に関わった科学者のかなりの割合がユダヤ人だったので、自分たちには核兵器を生産する頭脳があると考えました。

アイゼンハワー大統領はイスラエルの核武装に反対で、こうした動きを容認しませんでした。そこで、スエズ動乱の背後で、イスラエルとフランスが手を組み、互いの国の核開発を助け合おうという方向で話がまとまりました。なんと、この時にフランスと交渉したのは、後にイスラエルの首相や大統領になり、ノーベル平和賞まで受賞したシモン・ペレス氏です。
意外に思われるかもしれませんが、アメリカはこの頃、イスラエルの核開発をなんとか止めたいと考えていました。ケネディ大統領は必死に止めようとしました。しかし、やがて彼は暗殺されてしまう。次のジョンソン大統領は見て見ぬふりをしました。そして、第三次中東戦争の直前にあたる1967年に、イスラエルは核兵器を製造したと言われています。
1969年に、イスラエルのゴルダ・メイア首相がホワイトハウスを訪れ、メイア首相とニクソン大統領が2人だけで散歩します。「オモチャ(核兵器)を持っているのか」とニクソン大統領が質問し、メイア首相は「持っています」と答えたそうです。
資料が残っているわけではありませんが、様々な調査報道や研究者の調査によると、ニクソン大統領は「核実験をしない」「核兵器を持っていると公言しない」と約束することを条件に、核兵器の保持を黙認するとメイア首相に伝えたようです。国際社会の中で明らかに二重基準です。
その後、核兵器を持とうとした国や、持とうとしていると疑われた国々は、アメリカから厳しい仕打ちを受けてきたことは周知の通りですが、イスラエルは別なのです。これが一番分かりやすい、アメリカのイスラエルへの偏愛です。
船津靖(ふなつ・やすし)
広島修道大学教授
1956年、佐賀県伊万里市生まれ、東京大学文学部社会学科卒。共同通信モスクワ、エルサレム、ロンドン特派員、ニューヨーク支局長、編集・論説委員などを経て2016年、広島修道大学教授。専攻は国際政治・報道。米中東外交、とくにアメリカ・イスラエル関係と宗教を研究。著書に『パレスチナ―聖地の紛争』(中央公論新社)。広島市在住。
長野光(ながの・ひかる)
ビデオジャーナリスト
高校卒業後に渡米、米ラトガーズ大学卒業(専攻は美術)。芸術家のアシスタント、テレビ番組制作会社、日経BPニューヨーク支局記者、市場調査会社などを経て独立。JBpressの動画シリーズ「Straight Talk」リポーター。YouTubeチャンネル「著者が語る」を運営し、本の著者にインタビューしている。