近藤の薩長融和周旋活動

 近藤の薩長融和に向けた周旋活動は、ユニオン号の購入だけに止まらない。先ほどの井上馨宛の書簡には、さらに驚くべき活動内容が含まれている。以下、具体的に見ていこう。

①ガンボート(砲艦の一種、軍艦に比して小型)2艘は、薩摩藩の名義貸しによってグラバーに発注済みなので安心して欲しい。

②ロンドンへの留学生派遣だが、長州藩士を薩摩藩士として派遣することは、もう少し協議する時間が必要である。

③薩摩藩名義によるアームストロング砲の購入は、今回は間に合わなかったものの、12月から1月までに輸入が叶い、下関まで搬入するとグラバーから回答があった。

④薩摩藩での英学および砲術修行について、現在は教授が中止されているので、しばらくは様子見が妥当であろう。

⑤ゲベール銃購入については、グラバーと交渉中であり、いずれ直接話したい。

ゲベール銃 19世紀の銃器/ Uploadalt, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

 このように長州藩の依頼は、軍艦、武器の購入から始まって、ロンドンへの留学生の派遣、鹿児島での英学、砲術修行の斡旋にまで及び、これらの実現には、近藤という希有な偉才の存在が不可欠であったことは自明である。

 また、近藤は小松帯刀・西郷隆盛の昨日の上京(長崎発)および久光の来月初旬での率兵上京を井上に示唆している。さらに、率兵上京の人数が多数になった場合は、大騒動が持ち上がるであろうと、上方での政治変動も予測している。薩摩藩士・近藤の情報を、長州藩に伝達している事実は見逃せない。近藤はさまざまなチャンネルを使用して、薩長融和に貢献していたのだ。

 次回は、薩長融和の雰囲気を壊しかねないユニオン号事件について、その経緯を追いつつ、近藤長次郎が本事件に関して、どのような対応を行い、暫定的な解決にまで至ったのか、その実相に迫りたい。また、近藤の存在がどのような歴史的意義を持っているのかについても言及したい。