農業革命や土地の私的所有さえ否定

──確かに、人類史の前提をくつがえしている印象がありますね。

大澤:この本の重要な主張は「そもそも農業革命など存在しなかった」ということです。

 世界各地で農業の始まりの痕跡が見られますが、世界的に農業が定着するまでに3000年ほどかかっています。革命というものが、転換点の一時的な過渡期を示すのだとすれば、3000年も続いたら、それは過渡期や革命ではなく一つの段階です。

 近現代の西欧を中心とした学問では、農業革命が決定的に重要なポイントとして考えられてきました。また、農業によって土地の私的所有が始まったと考えられてきましたが、そのことも著者2人は否定しています。

 初期の農業は、川の氾濫を活用していました。氾濫の引いた土地が肥沃になり、そこを使って農業をしました。ただ、氾濫は頻繁に起こるので、その都度土地を切り分けていたとは考えづらい。そのような状況下では、「私的所有」より「集団的な所有」のほうが促進される傾向があるのです。

──「農業革命」や「土地の私的所有」さえ否定しているのですね。

大澤:この本には、他にも既成概念をひっくり返す事実が記されています。

 私たちは一般的に、狩猟採集民は小さな集団を形成して、その中で生活していた、とイメージしがちです。でも、考古学や人類学のさまざまな発見を見ていくと、狩猟採集民同士が、驚くほど広い範囲で交流を持っていたことが明らかになっています。

 たとえば、さまざまな道具が、ユーラシア大陸の西の端から、ロシアのあたりまで使われています。オーストラリアの先住民は、オーストラリア大陸の半分くらいの距離で移動していました。アメリカの先住民も、五大湖からルイジアナ州あたりまで移動していたことが分かっています。

 狩猟採集民は小さなバンドの単位で移動していたのかもしれませんが、移動範囲は広大でした。そして、ここが重要なのですが、狩猟採集民がどうしてそんなに広範に移動することが可能だったかというと、行く先々で受け入れてくれる仲間がいたからです。行った先に別の部族がいて、歓待してくれたのです。

 それぞれの部族は、同じ形式の「半族」に分かれていて、遠くの同一の半族からやって来た者を歓待する義務があったのです。つまり、何千キロも離れたところから来た人を受け入れていた。

 オーストラリアの半分くらいで、そうした行き来があってつながっているのだとしたら、それは大きな一つの社会だったと考えることができます。