吉原の格式、花魁の気位

 筆者はこれまで、江戸時代の人が当時の吉原について書いた洒落本(風俗小説)、春本・春画、随筆(ノンフィクション)を多数、読んでいるが、「三回目で肌を許す」事例など、一度も目にしたことがない。

 それどころか、当時の記述では、花魁は初会から客の男と寝ている。また、それを当然のように書いている。

 では、なぜ多くの人が、「花魁は三回目で肌を許す」説を信じているのだろうか。

 要するに、現在刊行されている、現代の著者が書いた時代小説や吉原解説書の多くに、そう説明されているからなのだ。だが、不思議なことに、どの本にも出典や出所は明記されていない。

 先述したように、江戸時代の人が書いたものには、そんな事実はまったくないにもかかわらずである。

 筆者が想像するに、近代になって(もしかしたら昭和かもしれない)、ある人が、「吉原では三回通って、ようやくセックスができた。これが花魁の格式であり、江戸の男の粋な遊び方だった」という意味のことを、どこかに書いたのではなかろうか。

 たしかに、面白い話である。「吉原は格式があった、花魁は気位が高かった」を裏付ける格好のエピソードであろう。この珍説が妙に受け、信じられ、引用が繰り返されてきたのではなかろうか。要するに、孫引きが繰り返されるなかで、珍説がいつしか定説になり、今に至っているのではあるまいか。

図2『風流江戸十二景』(磯田湖龍斎、安永3年頃)、国際日本文化研究センター蔵

 図2も、吉原の光景である。

 客の若い男は前髪があるので、元服前である。遊女はこう、ささやきながら、男をみちびく。

「これさ、じっとしていなんし。よくして、あげんしょう」

 男は初会、しかも童貞のようだ。とすると、男は元服前に、吉原の遊女に筆おろしをしてもらうことになろう。

 もちろん、こんな初体験ができたのは、富裕な商家の若旦那くらいであろうが。

 (編集協力:春燈社 小西眞由美)