(永井 義男:作家・歴史評論家)
江戸の常識は現代の非常識? 江戸時代の庶民の生活や文化、春画や吉原などの性風俗まで豊富な知識をもつ作家・永井義男氏による、江戸の下半身事情を紹介する連載です。はたして江戸の男女はおおらかだったのか、破廉恥だったのか、検証していきます。
昔も今も納得できない二度の無駄金
図1は吉原の花魁(おいらん)と、初会の男である。
本文では——
花魁は「まあ、帯を解きなんしな」と夜着の中へ入り、「さあ、こっちをお向きなんし」と抱きしめ、口と口、
——という具合で、初会で緊張している男を、花魁がやさしくみちびいていく。
図1が初会の光景という説明に、「時代考証の誤り」と思った読者は少なくないかもしれない。というのは、吉原では、初めての客を「初会」といった。同じ遊女のもとに続けて来るのを「裏を返す(たんに裏とも)」、三回目を「馴染み」と呼んだ。
そして、花魁は初会では対面しても、客の男とはほとんど口も利かない。裏を返すと、花魁はにこやかに話はするが、床入りはなし。馴染みになって、初めて花魁は肌を許す——と。
つまり、「吉原では花魁はすぐに床入りせずにじらし、三回目でようやく客とセックスをする」と信じている人は多い。
上記の説は有名である。しかし、あくまで吉原伝説にすぎない。常識で考えれば、わかることではあるまいか。
現代、筆者がある性風俗店に行き、A嬢を指名してコースを選び、料金を払ったとしよう。ところが、A嬢は顔合わせをしただけでプレイはなく、時間が来るや筆者は追い出されるではないか。
筆者は怒り心頭に発し、「ひどいじゃないか、金を返してくれ」と抗議した。すると店側の説明は、こうだった。
「二回目までは料金はいただきますが、A嬢は顔合わせをするだけで、プレイはありません。しかし、三回続けて来てもらえると、A嬢は他では味わえないすばらしいテクニックでお客様を満足させます。これがうちのシステムです」
筆者は絶対に納得しないぞ!
いや、筆者だけでなく、二度までも無駄金を払わなければならいシステムなど、誰ひとり納得しないであろう。そんな店には誰も行かない。こんな性風俗店が成り立つはずがない。
江戸の吉原でも同様だったはずである。客から見放されたら商売は続かない。図1で、花魁と客は初会から情交している。これが正常なのである。