野球中継にも変化、伸び悩むようになった視聴率

 そして「日本人選手のMLB挑戦」は、野球少年の憧れの対象だけでなく、放送業界の勢力図にも大きな影響を与えていった。NHKのBS放送は1984年から試験放送が始まっていたが、1995年、野茂英雄がドジャースで登板し、それをNHKBSで放送すると加入者が急増した。

 さらに2001年にイチローがMLBに挑戦すると、数日に1回しか投げない先発投手とは異なり、シーズン中ほぼ毎日出場するイチローを見るために、加入者がさらに増加した。

 これまで「プロ野球観戦」と言えば、夕食どきに、家族で地上波テレビを囲むものだったのが、野茂、イチローの挑戦以降は「早朝」や「午前11時」からのBSテレビ視聴という新たな「観戦スタイル」も生まれた。

 そして21世紀にはいると「巨人一強」の力の源泉だった「巨人戦の視聴率」が如実に下落しはじめるのだ。

 平成以降の関東地区の巨人戦の平均視聴率の推移(ビデオリサーチによる)。「位」は巨人のリーグ順位。

1989年:22.7%(1位)
1990年:20.6%(1位)
1991年:17.2%(4位)
1992年:19.3%(2位)
1993年:21.5%(3位)
1994年:23.1%(1位)
1995年:19.8%(3位)
1996年:21.4%(1位)
1997年:20.8%(4位)
1998年:19.7%(3位)
1999年:20.3%(2位)
2000年:18.5%(1位)
2001年:15.1%(2位)
2002年:16.2%(1位)
2003年:14.3%(3位)
2004年:12.2%(3位)
2005年:10.2%(5位)
2006年: 9.6%(4位)

 巨人戦の視聴率は、1990年代まで、概ね20%の平均視聴率をキープしていた。テレビのマルチチャンネル化が進み、視聴者の選択肢が広がる中で、これは強力な数字だった。また巨人が強いと視聴率は上がるという法則も見て取れた。

 しかし2001年に15.1%とかつてない低い数字を出すと、翌年は巨人が優勝したにもかかわらず1.1ポイントしか上がらず。そして2003年以降、坂道を転がり落ちるように低落して10%を割り込む。

 21世紀に入って視聴率低下によって「巨人一強」体制が崩壊したことは、何を意味していたのか? それは当時のプロ野球関係者にもよくわかっていなかった。

 しかし2004年に起こった「球界再編」によって「変わってしまったプロ野球」の実態が明らかになっていく――。