「生死」があいまいになることで生じる弊害
テキストや音声ベースだけではない。AIによる画像の自動生成アプリも登場している。近い将来、ChatGPTやGoogleやアレクサなどの音声対話を組み合わせた自分のアバターが登場するかもしれない。アバターはデジタル上の自分の分身(「不死」を手に入れた状態に近い)となり得るため、「生」と「死」の境界はあいまいになる。
「生」と「死」があいまいになる時代の到来は、死を「自分の限界」と位置づけ、「だからこそ、より良い生き方をしなければならない」と教える仏教の基盤が揺らぐことにならないか。
仏教だけではない。常に死の恐怖が存在していたからこそ、多様な宗教が生まれ、存続してきた。宗教は時に、人間の行きすぎた行動を抑制し、倫理や秩序を保つ源泉にもなってきた。
しかし、AIが「死」をあいまいにし、AIが既存の宗教の代役を果たす段階に入ってきている。シンギュラリティの到来が今後、宗教界にどんな影響を与えるのか。技術の進歩は、組織の中で新旧の入退場を促してきた歴史がある。
100年先、いやもっと早くにAIは「神」や「仏」になり得るのか。その時、社会の倫理は崩壊するのか、新しい秩序がもたらされるのか。それはまだ、誰にも分からない。