連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識
人が面白いと感じる物語は往々にして、育ちが良くて、ハンサムで、能力のある人間が、何の挫折もなく、大成功を収めて、幸せに暮らしました、という話ではない。
見てくれが冴えず頭の回転の鈍い男が大成功をする話や、巨万の富を持つ金持ちが破産する話。
醜女が玉の輿に乗る話や、目を瞠る高貴な令嬢が貧賤の男の手に堕ちる、そんな話に大衆は惹かれるものだ。
かつて官能小説の大家が、私にそう教示してくれたことがある。その定理は洋の東西や時代を問わず今も昔も共通するようだ。
生まれた家庭・家族・父親
第35代大統領ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ(1917-1963)は、「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うてほしい」と、大統領就任演説で国民に語りかけた。
人々に愛されたJ・F・ケネディは20世紀を代表するカリスマであり、現在もケネディ家が世界中の人々から関心を向けられるのは、その由縁と来歴によるものだろう。
ケネディ家は、著名な政治家や実業家を輩出した名門の家柄であり、王室のない米国では、「ケネディ王朝」と称されるなどロイヤルファミリー的な存在といわれている。
J・F・ケネディは1917年5月29日、ケネディ一家に次男として誕生。
父ジョセフ・パトリック・ジョー・ケネディ・シニアはアイルランド系移民の実業家で、株で莫大な財産を築いた。
その資金で息子たちの政界進出をバックアップする。
ケネディは戦後、政界に入ると下院議員と上院議員を務め、1960年の大統領選挙に民主党から出馬し、共和党のリチャード・ニクソンを僅差で破る。
名門出身でハンサム、清廉な思考で理想のビジョンを掲げ、明るい未来を分かりやすい言葉で語りかける若き指導者ケネディは、市民から絶大な支持を受けた。
ケネディは大統領在任中、第2次キューバ危機で、ソ連との一触即発の危険な状態に陥ったが、ニキータ・フルシチョフ第1書記とのやり取りでソ連が核ミサイルを撤去させ、米ソ冷戦下、米国の宇宙での優位性を示す宇宙開発競争に奔走するなど、多くの歴史的事象に取り組んだ。
また、黒人や少数民族の地位向上や公民権法の制定、そして景気、経済、教育、天然資源、国際収支、税制改革、国防予算、月探検計画、後進国援助に関する項目をニューフロンティア政策として掲げた。
特に人種差別政策についての取り組みはケネディの業績として高く評価されている。