野崎氏が亡くなり葬儀なども終了すると、早貴被告は東京で暮らすようになっていた。それでも毎月行われる法要のときには田辺市に飛んできた。地元のそのような風習を教えたのはマコやんだった。

 野崎氏宅の祭壇の水を毎日替えるのも彼の役目だった。ちなみにマコやんによれば、早貴被告が祭壇に向かって手を合わせたことはなかったという。もっと言えば、田辺市内の高台にお墓を準備したのもマコやんだった。

 19年5月、田辺市内のお寺で催された1周忌の法要が、マコやんが早貴被告と会った最後の機会となった。

早貴被告と5年ぶりの「再会」

 それから5年、マコやんは和歌山地裁の法廷で久しぶりに早貴被告の顔を見た。そのときの状況を、マコやんは吉田氏にこう語ったという。

「あの日の公判で呼ばれた証人はワシ一人。午前と午後の両方に出廷したけど、午前中はまだ慣れていなかったので早貴や傍聴席の様子をうかがう余裕はなかったんや。裁判員が10人もいて、彼らに分かりやすい説明をしなければと集中していたからな。(18年の)3月に早貴が『明日からフランスに行くので当分連絡できない』と言ってきたことについて聞かれたけど、早貴が本当の事を言っているのか分からなかったので、『(早貴の言葉は)信じていません』と答えた。

 お昼休みが終わって、裁判官が入って来るのを待っていたら、なんか視線を感じたんや。それでそっちのほうを見てみたら、向かい側に座っている早貴がボクのことをジッとみていたのに気付いた。ワシが知っている早貴ではなく、病的なほど痩せていたので驚いたで。それで初めて早貴と視線を合わせたんや」

野崎氏が経営するアプリコの「番頭」だった”マコやん”(右)。その隣で野崎氏の愛犬イブを抱き上げて顔を隠している脚の長い女性は早貴被告(撮影:吉田 隆)
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――どのくらいの間?

「そうやな、10秒くらいはあったと思うで」

――10秒って相当長いですよ。本当ですか?

「そうや。あいつがワシの視線を外さずに見続けていたから、ここで外したらダメだと思ってワシも見ていたんや」

 傍聴席の記者たちは裁判中にいつも下を向いている早貴被告が珍しく顔を上げていたことに気がついていたが、それはマコやんの顔を見るためだったというワケだ。