大下さんは若い頃、「将来は歌手になる」という夢を持って和歌山から上京したのだが、残念ながらその夢は叶わなかった。ただ、歌は玄人はだしであるという。その後、離婚を経験した大下さんは、六本木で商売をしながら、シングルマザーとして一人娘を育てあげた。その娘Aさんは、母の夢を代わりに叶えるように、大手レーベルからCDを何枚も出すシンガーとなった。

お手伝いさんの娘とも結婚したがったドン・ファン

 小学生時代からAさんを知っている野崎氏は、彼女のことも非常に可愛がっていた。美しく成長していくAさんに高級レストランで食事をご馳走しながら「将来はAちゃんと結婚したい」と口にすることもあったという。ところが、母親の大下さんは「冗談じゃない。あんなエロジジイと結婚なんて絶対にあり得ない」と断固反対したという。親しく付き合っていても、愛娘を嫁に出す相手としては論外だったということだろう。

野崎氏とお手伝いさんである大下さん(仮名)の娘のAさん(撮影:吉田 隆)*写真は一部加工しています
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 ただ野崎氏と大下さんには強い信頼関係があった。大下さんは野崎氏の酒類販売の会社「アプリコ」の役員になっている。これはいわゆる名義貸しであるようだが、信頼関係がなければ名義貸しを頼めるはずもない。

 また、大下さんは実父が田辺市内の病院に入院するようになったので、東京から地元にたびたび帰り、地元で暮らす妹と交代で看病のために病院に通っていた。その際には、野崎氏の田辺市の自宅に泊まり込み、野崎氏宅の掃除などをし、午後には病院に通うという生活をしていた。これが大下さんが一連の報道で、ドン・ファン宅の「お手伝いさん」と称される理由だ。

 野崎氏はアプリコの従業員であっても自宅寝室に足を踏み入れることを嫌っていた。うっかり近づこうものなら「泥棒呼ばわり」されるので、従業員も近寄ろうともしなかった。唯一の例外が、野崎氏の信頼が厚かった大下さんである。大下さんは掃除のために野崎氏が出勤後の寝室掃除を任されていた。

 大下さんについて、“ドン・ファン本”のゴーストライターをして、野崎氏と懇意だったジャーナリストの吉田隆氏が言う。

「ドン・ファンの自伝を作るにあたり、彼のことを良く知っている方を何人か紹介してもらいましたが、その一人が大下さんでした。2016年ごろ、彼女とは何度も東京で会って繰り返しドン・ファンの武勇伝や商売のやり方などを聞かせてもらいました。その後、大下さんは父親の看病のために月の半分程度田辺に行くようになり、ドン・ファンから『自宅のお手伝いをしてくれないか』と誘われたんです。もちろん早貴被告との結婚前のことです。ゲストルームもあるので寝泊まりに不自由はなかったようです」