「紀州のドン・ファン」野崎幸助氏(故人)と元妻の須藤早貴被告。早貴被告が手にしているのはドン・ファン愛用のピンクの携帯電話(撮影:吉田 隆)
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 9月12日から和歌山地裁で始まった「紀州のドン・ファン殺人事件裁判」。検察の冒頭陳述では驚くべき“事実”が次々と明らかにされている。12日の初公判で特に目を引いたのは“紀州のドン・ファン”こと野崎幸助氏(享年77)が死去した2018年5月24日午後の詳細な記録である。

 詳しくない方のために簡単に振り返って見よう。

15時から20時までは自宅で2人きり

 事件が起きたのは18年5月24日の22時過ぎ、和歌山県田辺市の資産家・野崎氏の遺体が自宅2階の寝室だ。そこで野崎氏はソファで意識を失っているところを発見された。

 発見したのは55歳年下で3カ月前に入籍したばかりだった妻の早貴被告(当時22歳)で、119番通報して救急隊が駆け付けたのだが、その場で死亡が確認された。

 この自宅で暮らしていたのは野崎氏と早貴被告、そして月に10日ほど東京から手伝い役で来ている70歳に近い大下純子さん(仮名)の3人だけだ。大下さんは野崎氏が経営する酒類販売会社「アプリコ」の役員に名義貸しの形でなってもいるほど、野崎氏の信頼が厚かった。大下さんは当時、実父が田辺市内の病院に入院していた。そのため田辺に帰ってきているときには、地元で暮らす妹と交代で看病するため、午後は病院に通っていた。

 事件発生当日も、大下さんは15時過ぎに野崎氏宅から外出し、20時過ぎに戻ったことが自宅に設置されている8台の防犯カメラ映像で確認されている。つまり、検察は15時から20時までは自宅には野崎氏と早貴被告の2人しかおらず、この時間帯に早貴被告が野崎氏を殺害したと見ているのである。