織田信長の「人となり」がわかる直筆感状

重要文化財「織田信長自筆感状」細川忠興宛 (天正5年〈1577〉)10月2日 永青文庫蔵

 展示は4階と3階、2階に分かれており、4階は新発見の文書や60通の中でも目玉となる重要な文書が細川家の家宝とともに展示されている。3階は膨大な文書が主だった歴史的出来事の順に展示されており、刻々と変わる戦況をリアルに感じ取ることができるだろう。主な出来事は室町幕府滅亡、一向一揆、長篠合戦、荒木村重謀反、本能寺の変で、激動の10年がギュッと凝縮されて目の前に迫ってくる。

 本稿ではおもに4階の文書について触れていくが、全体を通して素晴らしいと感じたのは、全文の解説と翻刻だけでなく、現代語訳が添えてある点である。「貴重な文書であることはわかるけど何が書いてあるかわからない」といったことはなく、歴史をある程度知っていれば現代語訳の内容でおおよそのことがわかるし、解説を読めばどれほど重要な文書であるかが一目瞭然だ。

 というわけでまずは今回の企画展の目玉でもある織田信長自筆感状を見ていきたい。信長自筆感状は天正5年(1577)10月2日に細川忠興へ送られたものだ。

 細川忠興は信長に反旗を翻した松永久秀の追討軍に参加し、松永方の片岡城攻めで活躍。忠興が戦況を伝える書状を信長に送り、信長はその武功を讃えるために自ら筆を取って返信したという。武将の手紙は主に右筆によって書かれることからも、直筆の貴重さを知ることができるだろう。「さらに励んで働くように。たいへんな手柄であった」と現代語訳が添えられている。45歳の信長が15歳の若武者に宛てた文書だと思って読むとなんとも微笑ましい。自筆と合わせて見ることで、差出人の「その時」のリアルがひしひしと伝わってくる。

 この書状が直筆であると確定しているのは、同日に信長の側近の堀秀政が書いた添え状から判明している。添え状には「忠興殿からの手紙を信長様に披露したら自ら書をしたためなされた(意訳)」とある。若輩者に対して「御館様直々の書だぞ。これは貴重なことなんだからありがたく受け取るんだぞ」と含み置いたようにも感じる。

 45歳の信長が忠興の武功を聞き、感情を高まらせて直々に筆を取った様子が思い浮かぶだけでなく、それを伝える堀秀政の思いや、受け取った忠興の興奮する様子まで想像できる。もちろんただ感情の赴くままに書いたわけではないのだろう。これからの世を担う15歳に直々に感状を送ること、それ自体の政治的な意図も含めて見るとさらに興味深い文書である。

 堀秀政の添え状により信長直筆であることが確定していることから、本書状は他の信長直筆書状を見定める「基準」になっているようだ。同フロアには信長の右筆の書状も展示されているから、筆跡の違いを見比べて見るのもよいだろう。

 信長の筆跡はとても大胆かつ奔放で、力強さを感じるものである。あるいは、我々は信長という人の「人となり」を物語などである程度知識として入れているからそう見えるのかもしれない。しかしそういった先入観を抜きにしても、見比べれば信長の大胆さは一目瞭然だ。それほどの「違い」を、実物を見て体感してほしいと思う。