足利将軍家との対立。その生々しさが伝わる新発見文書

「織田信長書状」 細川藤孝宛 (元亀3年〈1572〉)8月15日 永青文庫蔵

 本展覧会のもうひとつの目玉が新発見の60通目の信長文書だ。まずはこの文書が出された時代背景と信長と細川藤孝の関係に軽く触れておこう。

 信長は室町将軍家の足利義昭を擁立して上洛を果たし、幕府体制を樹立した。しかしそれは長く続かず、信長と足利義昭側近衆との対立が深まってゆく。足利義昭の側近衆であった細川藤孝は信長に通じ、のちに信長の家臣となる。新発見の書状は元亀3年(1572)のものと比定されており、信長がまだ義昭の側近であった藤孝と情報共有しつつ義昭との和睦を模索していた時期のものであるという。

 その内容は実に生々しいもので、「今年はほかの側近衆からなんの音沙汰もない。自分に音信をしてくれるのは藤孝だけだ。今こそ大事な時なので、山城・摂津・河内方面の領主を味方に引き入れてください(意訳)」と書かれている。切実な信長の思いが綴られており、いかに信長が藤孝を頼りにしていたのかがこの文書から伝わってくる。

 このような時期を経ていることを鑑みると、先の忠興宛の直筆書状が一層輝いてみえる。足利幕府との関係悪化を経て自分の味方になってくれた細川藤孝の嫡男が、自らの配下の武将となり華々しい武功を挙げている。これには信長も筆を取らずにはいられなかったのだろう。歴史は点ではなく線で結ばれているのだということが書状から伝わってくるのだ。