「遊水池」も地主に甘えた制度
しかし、実はそれも徹底されていない。筆者は以前、農地を木津川(三重県)の上野遊水地に位置づけられた農家から、「越流堤を越えて水が入って農作物に被害が出ても補償はされないし、入ってきたゴミも片付けなければならず、良いことは何もない」と聞いたことがある。
遊水池の扱いはどうなっているのか。一般論として聞くと、国の治水課は「遊水地とは、堤防をそこだけ低く作り、川の水位が上がると、越流堤から遊水地に入り、下がると排水門を開けて水を出して空にする、といったものです」と描写し、「遊水地に水を入れる権利を買う場合がある」という。
そこで、具体例を聞くと、「例は言いづらい。水を入れても補償するのではなく、浸かってもいいですよと了解してもらった上で行う場合もある」というのだ。それがまさに上野遊水地だ。法的に位置づけのある「遊水地」でさえ、地主の好意に甘えた制度なのである。
一方、霞堤地区は実質的に「遊水地」扱いされているにもかかわらず、こちらは法律に位置付けがない。霞堤とは何か。そう問うと、治水課は、「先人たちの知恵が形になったものが霞堤です。開口部を作って、堤防の決壊を防ぐ。氾濫から住居を守るもので、田んぼや畑にジワジワ水が上がっていく。堤防を閉め切ると、別のところにリスクがいくので、わざと開けておこうね、というものです」と言い、最後に「歴史的背景があるものです」と付け加えた。
つまりこれは「江戸時代がそうだったのだから、令和の時代でも、他の住民の生命・財産のために、田畑や住居が浸かっても何の補償もなく我慢しろ」と言っているようなもの。「堤防を締め切ると、別のところにリスクがいくので、わざと開けておこうね」という政策だ。
この間、遠く離れた上流で、完成時期を延長し続けてきた設楽ダムを膨大な税金を注ぎ込んで建設し続けている。自分事として考えれば、理不尽さで息が詰まる。