治水地形分類図とは、治水対策が進むようにと、国土地理院が土地の成り立ちが分かるように作った地図だ。微高地(自然堤防)は黄色、旧河道は水色の横縞で表されている。「先人たちは、浸からないところを見て選んで家を建ててきたのでしょう」と小野田さん。

豊川市金沢町の「治水地形図」(国土地理院「治水地形図」より凡例を加えて筆者作成) 
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 確かに建物があるのは黄色の微高地。古くからある神社や仏閣も見事に微高地にある。江戸時代、霞堤内に残った住民の知恵がそこには光っていた。

左岸の霞堤4地区だけ江戸時代のまま

 豊川放水路完成の2年後、1969(昭和44)年8月に戦後最大の洪水が豊川を襲った。左岸が破堤して霞堤地区内に大水害が起きると、4地区(金沢、賀茂、下条、牛川)の霞堤は閉じないことになった。江戸時代のまま残され、この4地区だけが2〜3年おきに水が溢れるようになった。

昭和44年8月の戦後最大の洪水による豊川左岸(豊川市)の破堤跡(2024年8月11日筆者撮影)
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 今では、設楽ダム建設の理由を説明する際に「昭和44年8月の洪水がきたとしても」「決壊などの大きな被害を防止し、霞堤地区の被害を軽減します」とダムの効果を国土交通省(以後、国)は謳う。

 裏を返せば、霞堤を残して「霞堤地区の被害を軽減」するために設楽ダムを建設してあげる、という体なのだ。国が2001年に策定した30年の豊川水系河川整備計画には、左岸の霞堤を閉じる計画がない。

「霞堤を残して設楽ダムを作るが、それで終わりですという計画です。霞堤地区に『小堤』を作ると書いてありますが、150センチ程度の高さでなんの対策にもなりません」と小野田さんは言う。