「俺はあんたのノックが大好きなんだ」

 2年生の秋、県大会を勝ち上がり関東大会に出場する。しかし、初戦で大宮東(埼玉)に1-8で敗れ、翌春の選抜甲子園出場の望みを絶たれた。大宮東はその選抜で準優勝している。

 いつ頃からか、対戦相手は文彦を徹底的にマークするようになっていた。秋の県大会前のシード校を決めるトーナメントで、日川高校と対戦し、第1打席から3打席連続敬遠。4打席目は0-1の9回裏、一死一二塁の場面で打席に立った。さすがに満塁にはできないので勝負してきた。そこでサヨナラ3ラン。その試合でただ一度だけのスイングだった。

 夏の大会でも、初戦で日川と対戦。延長12回の末、4-5で敗れた。文彦は6度打席に立ったが、3打席が敬遠。残りの3打席は凡退した。1打席目に完璧に捉えたライナーが飛んだが、センターのダイビングキャッチに阻まれた。1本のヒットも打てないまま最後の夏が終わった。

 試合後、なぜか涙は出なかった。学校に戻って最後のミーティングを終えた後、勇がグラウンドを去ろうと自動車に乗った。全員で整列して「ありがとうございました」と挨拶し、自動車が走り出した途端、隣接していた室内練習場のビニールハウスに突っ込んだ。敗戦のショックで呆然としていたのだろう。その瞬間、3年生全員が号泣した。

 秋に成績を残していただけに、チームへの期待は大きかった。「監督は、親子鷹で甲子園に行きかったと思います」と文彦は今も悔しそうに言う。

 父の勇にとっても、野球人生の分岐点だった。私学の勢力に対して、あれこれ手を尽くしてきたが、もはやどうにもあらがいようがないほど差が開いていた。歳も五十代のなかばを過ぎていた。息子と最後の勝負に挑み、敗れた。情熱が消えかけていた。

 そんな折り、思わぬ話が入ってくる。県内の私学の一つ、日本航空高校から監督就任の誘いを受けたのだ。

 もともと、息子の学年でキリにしようかと考えていた。それなら残りの野球人生を、全く新しい環境でチャレンジしてみるのも悪くないと思えた。

 何よりも心が動いたのは、日本航空の理事長から言われた「俺はあんたのノックが大好きなんだ。あのノックを、ウチのグラウンドでも打ってもらいたい」という言葉だった。勇の狙ったところに打つ正確無比なノックには定評があり、そこに指導者としての自負もあった。