それ以来、卒業まで一度も公式戦の打席に立つことはなかった

 同学年には、のちにメジャーリーガーとなる高橋尚成投手(元・巨人)がいた。「大学で活躍してプロ野球選手になるんだ」と期待と夢を膨らませて入学したが、各学年に甲子園組やドラフト候補がゴロゴロいるスター軍団の中で、現実を知らされる。

「こんなに違うんだと、カルチャーショックを受けました。すごい挫折感でしたね。やればやるほど、プロなんて到底無理だと現実を思い知らされた4年間でした」と振り返る。

 駒大の太田誠監督は、勇の大学時代の2年先輩という縁もあり、文彦には目を掛けてくれていた。入学早々ベンチ入りを果たし、日大との開幕戦にいきなり代打で出場。その後も代打で起用された。春こそ6打数0安打に終わったが、秋の最初の打席で公式戦初ヒットを打つ。ホームランだった。

 レギュラーに手が届くかと思えた2年春、好調を持続していたが、練習に夢中になるあまり単位が思うように取れず、進級が危うい状態になった。太田監督から「まずはしっかり授業に通え」と、一時メンバーを外れることになった。遠回りになったが、「それがなかったとしても、レギュラーは難しかったと思います」と文彦は言う。

「イップスで投げられなくなってしまい、野球が怖くなりました。打つことだけならなんとかなるけど、それだけの結果を求められる。ずっと苦しさを感じていました」

 選手としてのキャリアは思わぬ形で幕を閉じる。4年生の春のリーグ戦、専修大との一戦。専大のエース安藤正則投手(元・西武)に9回までわずか1安打。0-1でリードを許していた。安藤の武器であるスライダーが、この日は抜群にキレていた。

 文彦は代打要員の一人としてベンチ入りしていた。最終回、「ハツ。お前から行くぞ」と声が掛かり、打席に送り出される。

 初球がボールの後の2球目。アウトコースに来た球を見送ったら、スライダーがグーンと中に食い込んできて、踏み込んだ右足に当たった。「よし」と一塁に向かおうとすると、球審は「ボール」と判定。文彦が当たりに行ったとみなされた。

「今のはデットボールですよ」と大声をあげてベンチから飛び出す太田監督。「あのスライダーは、踏み込んでいかなきゃ絶対に攻略できません」と強硬に抗議するが、審判も譲らない。中断が5分以上続き、最後は「頼む」と言ってその場で土下座をし、スタンドの観客を驚かせた。それでも判定は覆らず試合再開となった。

 3球目もボールでスリーボールとなり、ベンチからのサインは「待て」。安藤はそれを見越したかのように130kmそこそこのストレートでストライクを2球続け、ツースリーまでカウントを整えられた。

 スライダーが来ることはわかっていた。2球目のようなキレがあったら、とても打てない。ただ、それならボールになる可能性もある。高めに目付けをし、「低めに来たら見送ろう。それでストライクになっても仕方がない」と腹をくくった。

 来たのは低めのスライダー。きわどいコースで、文彦は「ボールだぁ」と声をあげて見送ったが、判定はストライク。見逃し三振。

 ベンチに戻ると、太田監督から「お前はもう二度と使わないからな」と怒鳴られ、それ以来、卒業まで一度も公式戦の打席に立つことはなかった。最後の4年生の秋のシーズン。駒大はリーグ優勝を果たしたが、文彦はベンチではなくスタンドにいた。(第3話に続く)

【矢崎良一(やざきりょういち)】
1966年山梨県生まれ。出版社勤務を経てフリーランスのライターに。野球を中心に数多くのスポーツノンフィクション作品を発表。細かなリサーチと“現場主義"に定評がある。著書に『元・巨人』(ザ・マサダ)、『松坂世代』(河出書房新社)、『遊撃手論』(PHP研究所)、『PL学園最強世代 あるキャッチャーの人生を追って』(講談社)など。2020年8月に最新作『松坂世代、それから』(インプレス)を発表。