「対テロ作戦」の表現に旧ソ連圏諸国が警戒する理由

 最後の「なぜ、集団的自衛権を行使しないのか」だが、これはロシアが加盟する「集団安全保障条約」(CSTO)と、「上海協力機構」(SCO)の2つの軍事・防衛条約に絡む疑問である。

 要するに「ロシアがウクライナに逆侵攻されたのだから、2つの組織の加盟国に対し、集団的自衛権による加勢を要請できる」との見立てだが、結論から言えば、プーチン氏がこれを執拗に迫った場合、CSTOは空中分解する可能性が極めて高い。

 CSTOはロシアを盟主に旧ソ連邦のベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、アルメニア(2024年に脱退宣言)が参加する軍事同盟で、第4条で「加盟国が他の国家グループから侵略を受けた場合、加盟国全体に対する侵略と見なし、直ちに軍事援助を含む必要な支援をする」と規定。

 これに従えば「逆侵攻」は、一見集団的自衛権が適用されそうで、実際プーチン氏は加盟国に軍隊派遣を要請したと見られるが、現在のところ応じた国はない。

 なぜならプーチン氏がどれだけ「特別軍事作戦」と叫んでも、客観的に見れば紛れもない侵略行為だ。この犯罪行為に加担すれば欧米の経済制裁は確実で、経済的打撃は計り知れない。

 またCSTOの大半の加盟国にとってウクライナ侵略は、「明日はわが身」の要素を多分に含む。このため集団的自衛権に基づく参戦は、自分で自分の首を絞める行為に等しい。事実中央アジア諸国はいずれも多数のロシア系住民を抱え、相当規模のロシア軍も駐留する。

 将来ロシアがさらなる勢力圏拡大に動き出した場合、「自国民保護のため」、さらには「ロシア系住民が多く暮らす場所はそもそもロシア領だ」と因縁をつけ、分離独立を支援したり、軍事力で国土の一部を占領したりする可能性は大いにある。

 実際、ウクライナやジョージア、モルドバでは、ほぼこの手法でロシア系住民が一方的に分離独立を強行、彼らの保護のためにロシア軍が駐留し、時に武力を行使するなどキナ臭い状況だ。

 こうした事情にもかかわらず、仮にプーチン氏が参戦を強く要請すれば、親プーチンのルカシェンコ大統領率いるベラルーシは別として、他の加盟国はこぞって脱退を宣言しかねない。まさにCSTOの空中分解で、プーチン氏が手塩にかけて築いたロシア勢力圏の崩壊とも言え、これでは本末転倒だ。

 一方、SCOはロシアと中国が主導し、インドやパキスタン、イランなど10カ国が加盟する地域協力条約で、安全保障やテロ対策などでの協力も重視し、アルメニア以外のCSTO全加盟国も参画する。だが、こちらには集団的自衛権の規定はないため、加盟国に応じる義務はなく、プーチン氏が条約の規定に基づき参戦要請することもできない。

 ただし気になる点が1つ。プーチン氏が逆侵攻を「テロ行為」とした点だ。CSTOはテロ対策にも力を入れ、事実2000年代初めからはタジキスタンの対アフガニスタン国境地帯で、「カナール」と呼ばれる対テロ作戦を毎年展開。またSCOは設立当初から対テロ作戦や国際犯罪への対処に熱心だ。

 こうしたことから、今後プーチン氏は集団的自衛権ではなく、新たに「対テロ支援」という名目で派兵を迫る可能性もあり、CSTOの中央アジア諸国やSCO加盟国は早くも警戒していると言う。

 今年9月10日前後から、ロシア側はようやく本格的な反撃作戦に乗り出したようで、精鋭の空挺軍部隊や海軍歩兵部隊(海兵隊)を差し向けているという。

ウクライナ逆侵攻部隊への反撃の機をうかがうロシア軍の精鋭・空挺軍所属のT-90戦車ウクライナ逆侵攻部隊への反撃の機をうかがうロシア軍の精鋭・空挺軍所属のT-90戦車(写真:ロシア国防省ウェブサイトより)

 対するウクライナのゼレンスキー大統領は「想定内」と余裕を見せるが、ウクライナの最大の軍事支援国・アメリカのバイデン大統領は、今年11月上旬の次期大統領選まで2カ月を切り、米製長距離兵器でのロシア本土攻撃をウクライナに認めるなど、選挙戦に影響を与えかねない決断を避けている。

 プーチン氏もこの事情を重々承知で、足元を見るように何が何でも逆侵攻で奪われた国土を回復、バイデン氏やハリス米副大統領率いる米民主党に大ダメージを与え、大統領選に揺さぶりをかける戦術に出る可能性が高い。

 プーチン氏の次なる一手によっては戦火が拡大しかねない状況で、ここ2カ月余りはプーチン氏の出方から目が離せない。

ロシアの陸軍偵察部隊逆侵攻への反攻に本腰を入れ出したロシアは空挺軍や海軍歩兵部隊など即応性が高い精鋭部隊を投入し始めた。写真は陸軍偵察部隊(写真:ロシア国防省ウェブサイトより)

【深川孝行(ふかがわ・たかゆき)】
昭和37(1962)年9月生まれ、東京下町生まれ、下町育ち。法政大学文学部地理学科卒業後、防衛関連雑誌編集記者を経て、ビジネス雑誌記者(運輸・物流、電機・通信、テーマパーク、エネルギー業界を担当)。副編集長を経験した後、防衛関連雑誌編集長、経済雑誌編集長などを歴任した後、フリーに。現在複数のWebマガジンで国際情勢、安全保障、軍事、エネルギー、物流関連の記事を執筆するほか、ミリタリー誌「丸」(潮書房光人新社)でも連載。2000年に日本大学生産工学部で国際法の非常勤講師。著書に『20世紀の戦争』(朝日ソノラマ/共著)、『データベース戦争の研究Ⅰ/Ⅱ』『湾岸戦争』(以上潮書房光人新社/共著)、『自衛隊のことがマンガで3時間でわかる本』(明日香出版)などがある。