なぜPTAになると「苦悩と恩讐」の渦の中で歯を食いしばるのか

 地域や公立学校の運営に少しでも関心をもっているみなさんは、PTAが決して命令されてやらされるようなものではないことは認識しています。それは、「入学した時点で自動的にPTA会員となります」という杜撰な意思確認に対する昨今のいろいろな反応によってわかります。

 私も、PTA会長3年の経験から、まさかそういう誤解をしているのは一部の保護者なのだろうとたかをくくっていたのです。

 しかし、この誤解(フェイク)がまだまだ多くの人々にもたれているということを実感したのは、体験記録『政治学者、PTA会長になる』(毎日新聞出版)を書いた後、関西の某ラジオ番組に電話出演して、これを読んでいたパーソナリティとアシスタントのお二人の反応を耳にしたときでした。

 なぜPTAに「当たってしまった」という言い方が(関西では)定着しているのかについて話が及んだとき、私は「半強制ボランティアなんて矛盾していますね?」と指摘し、「そもそもPTAって、学校や教育委員会の下部組織じゃなくて“任意団体”なのに、なんであんなに無理をするのか不思議です」とコメントしました。

 すると、番組進行のお二人から「それは気づきませんでした!」という言葉が返って来たのです。つまり、PTAはサークルと同じですという指摘に、「それは意外でした!」と反応されたのです。私はあらためて天を仰ぎました。

 PTAが任意団体であることを踏まえている人にとって、PTAの負担を感じたときにする思考パターンはさほど複雑ではありません。「任意団体なのだから、活動の余裕があるときにはやる、多忙ならば家庭生活を優先する」で終わりです。

 しかし、多くの保護者が「辛いけどやらなきゃならないの。3月末まで耐えてやり過ごすの」となるのです。嫌なら止めればいいだけなのに、なぜかそうなるのです。

 では、私たちの社会のアラフォー、アラフィフのママパパたちは、他の任意団体でも「嫌でもやらなきゃいけないのよ!」となるかというと、とんでもありません。

 地域の楽しい活動、ボランティア、その他趣味の活動であれ、驚くほどのセンスと能力で運営をしています。なのにどうしてPTAになると「苦悩と恩讐」の渦の中で歯を食いしばるのでしょうか?