家庭教育は「感じ方」

 さて、久保亮五先生のケーススタディを延々と記しましたが「ウチはそんな家じゃないから」と言われる読者が多いかもしれません。

 実際、私の生まれた家だって、そんな学者一家ではありません。それどころか、父親など小学1年、私が6歳の時死んでしまいましたから、論語も和算も関係ない。

 それでもそれでも、親が教えてくれたこと、特にそこでの感じ方、考え方というのは子供の胸に強く残ると思うのです。

 私の父は小学1年の夏休み直前、転移性肺がんで「あと3か月の命」と言われ、実際には7か月持ちましたが、秋葉原の三井記念病院に入り、生きて出てくることはありませんでした。

 院内の患者というのは暇なものです。そこでガラにもないのに俳句なんぞヒネッていましたので、息子の私もそれを真似しました。

 しかし、あまり俳句の指導をしてもらった記憶はありません。でも、身の回りの物を見て、そこで感じたことを5・7・5にまとめる、その切り口があざやかだと見事、といった程度の「感じ方」は残り、今考えると人生でも決定的だったかもしれません。

 もっとはっきり残っているのは「九九」です。

 父は水色の折り紙の裏に、油性の黒マジックで「九九」の表を書いてくれ、その中にいくつか規則性があることを教えてくれました。

「へー」と思った・・・それだけです。私に残っているのは。

 ただ、「こんな、何でもない数字の羅列の中に、いろいろな仕掛けが隠れていて、それをあざやかに見つけるのが、男は格好いいんだな・・・」みたいな、およそミーハーですが、感じ方の原点を親父からもらったのは間違いありません。

 一般に「スパルタ教育」は批判されますが、教えられる内容にメカニズムがあり、それを開示されながら、大変深く感心したり、感動したりしながらであれば、相当厳しい教育でも子供はついてくるような気がします。 

 また、私が中学時代から専門を師事した松村禎三という人は、今思い起こせば滅茶苦茶な人で、内弟子の私はただただ罵詈雑言の嵐でした。

 しかし、松村が深く愛情をもって指導してくれていることは、はっきり分かりましたし、亡くなった後、外でどれくらい私を高く評価してくれていたかなど聞き及ぶにつれ、死んだ先生に頭が上がりません。

(二人称の私には、生涯で2度くらいしか褒めてくれたことがありませんでしたが・・・)

 子供を教えるのに、親が、細かなあれこれを教示しなくてもよいと思うのです。私の父などあれこれ言う前に死んでしまいました。

 ただ、本質的な世界との関わり方、世界の観方、感じ方、考え方、それらを前向きに捉えることで、自分自身の世界が広がっていくこと・・・そういう、人となりの原点となるような「家庭教育」は、決定的だと思うのです。

 冒頭に記した、あるベテランの先生が言われた「細る家庭教育」という一語は、人となりそのものが痩せ衰えてしまう危惧感を抱かせます。

 どこかの県で開かれている百条委員会など、そうした衰亡のなれの果てが開陳されているように思います。

 学齢のお子さんをお持ちの読者には、子供の勉強を見てやらなくてもよいと思います。その内容に興味をもって、一緒に感じ、考えてあげる。

 そういう、「情と知」の通った、そして血の通った接心をもってあげていただけると、生涯の宝物になるのではないでしょうか。

 思春期の頃、それを求めてもすでに父親が死んで存在しなかった、かつての一息子として、ぜひ、親子での「血(知)の通った」コミュニケーションを深めていただきたい。

 インチキの芸能人ロールモデルやらユーチューブやらにたぶらかされることなく、実のある家族の絆を深めてほしいとと思いながら、常々学生諸君との接心を続けている中で、正直なところを記しました。

 子供は、親の期待に応えたいものです。

 いまの東大生の大半が進路を決められずにいるのは、親が「東大まで入ったんだから、後は好きにしていいよ」と放り出すのが最大の理由と感じます。

「好きにする」は結構だけれど、その「好き」な内容について、家族でそれまで語り合ってきたのでしょうか? 

 そうしたものが特になく「好きに」しようにも、本当に行き惑う若者が非常に多い現実とともに、記しておきたいと思います。

 親子が、もっと血の通った、実のある対話の場を持つ必要があると思うのです。