原宿駅の木造駅舎はなぜ「復原」ではなく「再現」なのか

 一方、私鉄は「復元」と表現する傾向が強い。東急電鉄は目黒線・東横線を地下化するために田園調布駅の駅舎を解体したが、親しみある駅舎を惜しむ地域住民からの要望もあって部材を保管。2000年に駅前広場へと移築するとともに復元した。

 東武鉄道の浅草駅も時代とともに老朽化した外観を新装しているが、耐震補強といった理由から駅舎を工事する必要性が生じ、2012年に耐震化と同時に開業時の姿へと復元する工事を実施している。

 そして、原宿駅の木造駅舎に関しても、発表当初は「復原」を使っていたが、最近は「再現」という言葉を用いるようになっている。この変化から読み取れるのは、「原宿駅の木造駅舎は当時の部材をできる限り使い、形も近づける努力はするが、必ずしも元の木造駅舎のようになるわけではない」ということだ。

 原宿駅の新駅舎の発表をしてから、筆者はたびたびそのことについてJR東日本や渋谷区の関係者に話を聞いて回ったが、明確な回答は得られなかった。彼らの話を総合すると、長らく親しまれた木造駅舎がそのまま移築・保存されるわけではないような印象を抱かざるを得なかった。

 こうした歴史的・文化的な価値が高い駅舎の復原を阻むのは、第一に法律の壁がある。東京駅の赤レンガ駅舎や原宿駅の木造駅舎、三角屋根の国立駅は昔に建てられているので現代の建築基準法や消防法に適合していない。

 建築物に関連する法律は、地震や火事、豪雨といった大規模災害が起きるたびに基準を厳しくしている。だから、古い駅舎は基準を満たせずに解体されることが珍しくないが、そうした法律の壁は文化財指定を受けることでクリアできる。

 だが、文化財指定を受けると、事業者も保存に努めなければならず、それは決して軽い負担ではない。復原したくても、当時と同じ建材が手に入らないという事情もある。代替品で補うことも可能だが、どこまで再現できるのかが問われることとなる。