鉄道車両や駅舎を「文化財」と見る動きが強まった背景

 日本の鉄道史は、新橋(後の汐留)駅―横浜(現・桜木町)駅間が開業した1872年から始まる。歴史としては150年ほどで、各地に点在する古代の遺跡や古墳、中世以降に建立された神社仏閣や城といった建造物と比べると歴史は浅い。

 旧国鉄は歴史的・文化的に高い価値がある駅舎や車両といった鉄道関連の設備・施設などを保存するべく、1958年に鉄道記念物に指定する制度を創設した。同制度によって、一号機関車(日本で最初に走った機関車で、1997年には鉄道車両初となる重要文化財に指定された)・一号御料車(1876年に製造された天皇専用車両)・0哩標識(鉄道建設時に旧新橋停車場跡に打ち込まれた測量のための起点杭)などが鉄道記念物に指定された。

 創設当初、鉄道記念物に関心を寄せたのは鉄道業界関係者や鉄道ファンぐらいで、その範囲も効果も限定的だった。そのため、これまで鉄道車両や駅舎を文化財として見る動きは弱かった。

 その後、2006年には東京都千代田区の交通博物館を拡張移転した「鉄道博物館」が埼玉県さいたま市にオープン。2011年には愛知県名古屋市に「リニア・鉄道館」が、2016年には大阪府大阪市の交通科学博物館と京都府京都市の梅小路蒸気機関車館を統合・リニューアルした「京都鉄道博物館」が相次いでオープンした。

 博物館をオープンさせれば、鉄道車両の保存が比較的容易だが、駅舎はそういうわけにいかない。そのため、歴史的・文化的な価値は認めつつも、駅舎の保存には大きな空間を確保するという高いハードルを越えなければならなかった。そうした事情から、鉄道事業者・自治体ともに保存には消極的だったのである。

 だが、こうした鉄道系ミュージアムが充実したことや鉄道関係者のたゆまぬ努力と自治体関係者の協力もあり、鉄道の車両や駅舎が歴史・文化遺産であるとの認識は月日の経過とともに強まった。

 駅舎保存という概念が希薄だった時期に重要文化財に指定された例もある。1988年に重要文化財に指定された福岡県北九州市の門司港駅だ。重要文化財とは、国(文化庁)が歴史的・文化的に価値の高い美術品や工芸品、建造物を指定し、それらの保存・修理事業にも政府の予算が充てられる。

復原前の門司港駅舎復原前の門司港駅舎(2011年5月、筆者撮影)

 そして、時代が21世紀に移ると2003年には東京駅、2004年には大社駅(島根県)が重要文化財に指定された。

 大社駅は1912年に開業し、以降は全国に名を知られる出雲大社の玄関駅として機能したが、1990年に廃止。出雲大社の玄関に相応しい風格を備えた和風建築の駅舎だったこともあり、出雲市は鉄道駅としての役割を終えた後も文化財として駅関連施設を保存し、それらを観光施設として活用している。

 東京駅は1914年に開業。丸の内側の赤レンガ駅舎は、新一万円札の裏面にも描かれるほど美しく、それは東京のシンボルにもなっている。

 そんな赤レンガ駅舎は、戦災によってドーム型の屋根を焼失。戦後に八角形の屋根へと形を変えながら再建された。八角形屋根は戦災復興を急ぐ応急処置で、復興が落ち着いたころにドーム型屋根へと再改修する予定だったようだ。しかし、ドーム型屋根に戻されることはなく、そのまま使用された。そして、ようやく2012年にドーム型屋根へと復原される。

美しい赤レンガの東京駅舎は戦後に八角形の屋根として再建されたが、2012年にドーム型屋根へと復原された美しい赤レンガの東京駅舎は戦後に八角形の屋根として再建されたが、2012年にドーム型屋根へと復原された(2020年10月、筆者撮影)