一般的に認識されていない「復元」と「復原」の違い

 ちなみに、歴史・文化遺産を以前の姿へ戻す作業には、「復元」と「復原」の2つの言葉がある。どちらも「ふくげん」と読むが意味は少しだけ異なり、作業の中身も違う。

「復元」は構造物が現存しない、もしくは資料や図面などは失われているケースが多い。そのため、たくさんの研究者がそれまで積み重ねた知見を持ち寄って再現を試みる手法を指す。時代とともに研究が進み、それまでの通説が覆されることもあり、復元した数十年後に「実は、こういった建物ではなかった」と判明する大どんでん返しが起きることもある。

 一方、「復原」は現存しているものの、歳月を経て元の姿から改造されるなどの手が加えられている構造物に対して、資料や図面を参考にして当初の姿へと戻す作業を指す。鉄道は明治期から建設されているので、駅舎の図面や資料は残っていることが多い。例外もあるとはいえ、駅舎に関してはほぼ「復原」と表現して差し支えない。

 文化財や歴史学の研究者・学者の間で、「復元」と「復原」を使い分けるような機運が生まれるのは平成期に入ったあたりからだ。そのため、まだ「復原」という言葉が広く世間に知れ渡っているとは言い難い。東京駅の赤レンガ駅舎でも「復原」の言葉が使われたが、それでも一般的に認識されていない。

 また、事業者によっても「復元」と「復原」の使い分けに好みが見られる。例えば、JR東日本の駅舎は「復原」を使用する傾向が強い。JR東日本管内では赤レンガ駅舎のほかに、2020年に駅前広場に移築保存された東京都国立市の旧国立駅舎にも「復原」を用いている。

中央線の高架化に伴い駅舎を解体。市の保存運動が実り、駅前広場で2020年に復原された国立駅中央線の高架化に伴い駅舎を解体。市の保存運動が実り、駅前広場で2020年に復原された国立駅(2020年4月、筆者撮影)

 先に紹介した門司港駅も歳月を経て、駅舎が改修されていた。そのため、JR九州と北九州市が協議し、2019年に創建当初の姿へと復原した。

 ただし、門司港駅のシンボルにもなっている時計台は創建当初は存在していなかったが、改修時に設置され、市民に親しまれているという理由から残された。こうした例もあるので、「復原」を厳密に定義することは難しい。

門司港駅は創建当時をベースにして2019年に復原された門司港駅は創建当時をベースにして2019年に復原された(2022年6月、筆者撮影)

 門司港駅も東京駅も、重要文化財に指定された後で復原作業が実施されている。一般的に重要文化財は、その価値を長く保存して後世へと伝えることを役割としている。復原することで旧来の姿を取り戻すという意義は重要だが、一方で門司港駅のような創建当初にないモノまでが市民に親しまれているといった情緒的な理由で残されることがまかり通ると、重要文化財の意義が無効化してしまいかねない。このあたりに文化財保存の難しさを感じる。