京都御所 写真:hana_sanpo_michi/イメージマート

 大河ドラマ「光る君へ」のヒットで注目を集める平安時代。意外に知らないことや思い違いに気付いた方も多いのではないでしょうか?

「書籍『平安貴族列伝』発売記念!著者・倉本一宏氏に聞く平安時代のリアル」に続き、「光る君へ」の時代考証を担当する倉本さんに、今回も学校では習わなかった、平安時代の奥深さを伺いました。

 話題の書籍『平安貴族列伝』のもととなる六国史や、藤原実資、藤原行成、藤原道長3人の日記について、倉本さんが専門とする「古記録学」や、大河ドラマファンなら気になる「時代考証」について、紹介します。

正史に書かれた「薨卒伝」

——倉本先生の著書『平安貴族列伝』で取り上げた六国史、「薨卒伝(こうそつでん)」について教えていただけますでしょうか?

 六国史というのは律令国家によって編纂された歴史書、いわゆる「正史」で、奈良時代に編纂された『日本書紀』にはじまり、901年に最後の『日本三代実録』が完成します。実は私は9世紀頃の論文や本をあまり書いていなかったので、これを機会に挑戦してみたいと思いました。

 特にとりあげてみたかったのが「薨卒伝」といいまして、貴族が亡くなったときに付け加えられる簡単な伝記です。こうしたものがなぜあるのかというと、六国史には本紀しかなかったからです。中国の歴史書はもちろん、朝鮮現存最古の歴史書である『三国史記』にも、年月日に沿って何が起こったかを書く「紀」という本紀と、いろいろな人の生涯を語っている「列伝」があって、このふたつが大きな柱となっています。

 ところが六国史のはじまりである『日本書紀』には列伝をつくる時間がなかったのか、あるいはそういう技術がなかったからなのか、本紀しかありませんでした。それ以降につくられた六国史も本紀しかなかったわけですが、当時の知識人は中国の歴史書を読んで列伝の存在を知っていましたから、列伝がないと寂しいということで、『日本書紀』の次の『続日本紀』から「薨卒伝」がつけ加えられるようになります。

 「薨卒伝」には、亡くなった状況と一緒に、その人はどういう人だったかが記されていまして、それが結構おもしろいんです。この中からおもしろそうな人だけを集めて現代語訳して、解説をつけたらいい本ができると思ったのが、執筆をはじめるきっかけになりました。

 今回、出版された『平安貴族列伝』は六国史のうち『日本後紀』と『続日本後紀』をまとめたものになりますが、連載はまだ続いています。今は『日本文徳天皇実録』と『日本三代実録』をやっていますので、全部終わりましたらまとめて本にできればと思っているところです。

——“おもしろそうな人”を集めたということですが、具体的にどんな基準でとり上げたのでしょうか?

 普通、本などでとり上げられるのは、例えば政権をとって偉くなった人とか、逆にとんでもなく酷いことをやって殺された人とかなんですが、実は歴史というのはそうじゃなくて、目立たない人たちの日々の営みの積み重ねなんです。

 実際、昔の貴族みんなが出世をしたくて頑張っていたわけじゃない。趣味の世界に生きたり、変なことに凝ってみたり、変わった性癖があって身をもち崩したりする貴族も結構いたんです。そうした人たちをとり上げるのは、一種の供養になると思いますし、こんな生き方をした人もいるんだと伝えることが、今を生きる人たちにとって、生きる指針になるんではないかと思いました。