1968年8月に起きた「プラハの春」。その21年後、チェコスロバキアの共産主義政権は崩壊。野球の種がチェコに持ち込まれた(写真:Ullstein bild/アフロ)1968年8月に起きた「プラハの春」。その21年後、チェコスロバキアの共産主義政権は崩壊。野球の種がチェコに持ち込まれた(写真:Ullstein bild/アフロ)

 チェコの強豪野球チーム、テンポ・プラハの練習に志願して参加し、少しずつ存在を認められていった会計士・斉藤佳輔(KPMGあずさ監査法人)は、一つの夢を実現させる。それは新たな物語の始まりでもあった。(文:矢崎良一、企画原案:斉藤佳輔)

◎第1話「仕事と野球の二刀流で世界の野球ファンを虜にしたWBCチェコ代表、そのサクセスストーリーの原点にある大谷翔平との邂逅
◎第2話「俺はやり切っていない!野球をあきらめ、野球をこじらせ続けた男がチェコの野球リーグに飛び込むまで
◎第3話「『練習に参加させてほしい』チェコの野球リーグに飛び込んだ日本人が練習参加で直面した現実

 チェコ駐在の任期が終わりに近づく中、ある日の練習後、斉藤は球場の監督室に行き、ルボミール・チュヘル監督への直談判を決行する。

「自分をベンチに入れてほしい。とにかくベンチに入りたい。そして、可能ならば自分を試合で使ってほしい」

 必死に自分の思いを伝えていた。とはいえ、ダメ元という気持ちもあった。その実力がないことは理解していた。すると、チュヘル監督からは予想外の答が返ってきた。

「もちろん、いいに決まっているよ。キミの練習している姿を見ていて、いったい誰が反対すると思う。もし反対するヤツがいたとすれば、俺はそいつを許さない」

 いつも斉藤に厳しい視線を向けていた指揮官が、これまで見たことのない柔らかい表情で語りかけてきた。そして、チュヘルはこう言葉を続けた。

「ただし、残念だが選手としては難しい。でも、コーチングスタッフとしてなら登録できる。次の試合から、キミはこのチームのコーチだ。正式にチームの一員だ」

 こうして「雑用係の日本人」は、コーチとして、チェコのトップリーグの公式戦にベンチ入りを果たすことになった。

チュヘル監督は斉藤の努力を認めていた(写真提供:斉藤佳輔)チュヘル監督は斉藤の努力を認めていた(写真提供:斉藤佳輔)