(英エコノミスト誌 2024年6月29日号)

第12期3中全会で方針を発表する胡耀邦総書記(右)を見守る鄧小平氏(1984年10月20日、写真:AP/アフロ)

共産党のある会議の議事録には、大胆な改革を支持する声が記されている。

 政治の世界では、主流でないアイデアが主流になることもあれば、その逆も起こることがある。

 米国の政治アナリスト、ジョセフ・オヴァートンがかつて指摘したように、「政治的可能性の窓(オヴァートンの窓)」は拡張されたり移動したりすることがある。

 共産主義国家の中国であってもそうだ。

 例えば1978年、この国のオヴァートンの窓は極めて重要な変化を見せた。毛沢東の死から2年が経過した後、あの偉大な指導者でも決して無謬ではなかったと共産党が認められるようになった。

 この実用主義はその後、経済改革を加速させ、鄧小平が中国の最高指導者になることへ道を開いた。

 この改革が正式決定された中国共産党中央委員会の会議――1978年12月の第3回全体会議(3中全会)――は歴史に残る会議となった。

3中全会に見る中国の「オヴァートンの窓」

 中国は現在、7月15日~18日に開催される別の3中全会の準備を進めている。3中全会はもう10年以上前から、もっぱら経済改革について話し合う場になった。

 原則としては、弱々しい消費需要や課税対象が狭い税制、非常に少ない社会支出、国内移住者に対する公共サービス利用の制限、民間企業が直面する官僚機構の壁など、中国が以前から抱える経済問題の解決に取り組む新たな決意を発信する可能性がある。

 従って、中国のオヴァートンの窓――この国の官界における経済関連の意見表明の許容範囲――がどうなっているかを考えるには良い機会だ。

 一見すると、この窓は小さい。

 特に、1978~81年に見られたイデオロギー的な盛り上がりは皆無だ。現在の指導者である習近平国家主席は高くつくミスを犯してきた。

 持続不可能なゼロコロナ政策、国内インターネットプラットフォームに対する手際の悪い規制、不動産市場の闇雲な締め付けなどがその主なところだ。

 だが、鄧小平が毛沢東について述べたコメントを習近平氏に向かって言おうとする指導者はいないだろう。

 そのコメントとは、毛沢東は70%しか正しくない、30%は間違っていた、というものだったからだ。