日本政府はまだ楽観的過ぎる

 松本サリン事件発生から30年目の6月27日、事件の舞台となった松本市では、当時事件で1人が死亡した明治生命の会社寮跡地「田町児童遊園」に献花台が設けられ、市民らが次々に訪れていた。

 発生当時は、現場近くに住む事件の第一通報者の男性が、薬品販売会社勤務歴があったことなどから疑惑の目が向けられ、警察が参考人として連日事情聴取し、メディアの過熱報道が続いた問題も生じた。付近の住民からは「何があったのかを正確に語り継いでほしい」と事件の風化を危惧し、若い世代に期待する声も聞かれた。

「戦前から日本は情報を軽視する傾向があったが、特に戦後は軍事技術などへの抵抗感から、テロや有事を引き起こす技術についての研究を怠ってきた。防衛当局や捜査機関にしっかりした知識や対応策がなければ、国民を守るうえでそれらの危険を防ぐことは難しくなる」

 15歳まで日本人として過ごした杜氏の、現代日本の危機管理状況に対する指摘は手厳しい。

「米国では、当局が必要したときは、たとえ私が出先にいても、あるいは転居後でも、納税情報などをもとにすぐさま連絡してくる」と指摘。

「また研究者という立場上、中国やロシアなどでの学術会議に出席する場面もあるが、ある中東の国に行こうとしたときは、政府から渡航の許可が厳として下りなかった。米国は『自由の国』だという印象とは裏腹に、情報管理においても非常に厳格だ」とも。

 杜氏は30年前の事件から日本が教訓とすべき点について、日ごろの備え、研究の大切さをあげたいという。

「たとえ日本に『軍』はなくても、周辺国の軍は常に最新の軍事技術を研究しており、相手国の研究にもアンテナを張り巡らせている。『そんなことはすまい』と思うのは自由だが、『それをされたときにどう防ぐか』を平時から研究しておくことは非常に大事なのだ」

 また、のど元過ぎれば熱さを忘れるかのような、その後の検証不足にも不安があるという。

「2020年、新型コロナが世界を混乱に陥れた際も、日本政府は当初、未知のウイルスに対する警戒心が薄く、爆発的な感染拡大も予見できず、非情に楽観的だった」

 昨今は周辺のミリタリーバランスの変化から、サイバー攻撃対策や、衛星、海底ケーブルの防御、軍用ドローンなど研究すべき課題は多い。

「従来の『世界一治安の良い国』という慢心のなかで、自国内でサリンやVXガスをつかった大規模かつ組織的なテロが起きたという事実の重さを軽くみてはいまいか。いま一度しっかり検証し、テロや有事への心構えや備え、研究の在り方を見直すべき機会ではないだろうか」としめくくった。

【吉村剛史】
日本大学法学部卒後、1990年、産経新聞社に入社。阪神支局を初任地に、大阪、東京両本社社会部で事件、行政、皇室などを担当。夕刊フジ関西総局担当時の2006年~2007年、台湾大学に社費留学。2011年、東京本社外信部を経て同年6月から、2014年5月まで台北支局長。帰任後、日本大学大学院総合社会情報研究科博士課程前期を修了。修士(国際情報)。岡山支局長、広島総局長、編集委員などを経て2019年末に退職。以後フリーに。主に在日外国人社会や中国、台湾問題などをテーマに取材。東海大学海洋学部非常勤講師。台湾発「関鍵評論網」(The News Lens)日本版編集長。著書に『アジア血風録』(MdN新書、2021)。共著に『命の重さ取材して―神戸・児童連続殺傷事件』(産経新聞ニュースサービス、1997)『教育再興』(産経新聞出版、1999)『ブランドはなぜ墜ちたか―雪印、そごう、三菱自動車事件の深層』(角川文庫、2002)、学術論文に『新聞報道から読み解く馬英九政権の対日、両岸政策-日台民間漁協取り決めを中心に』(2016)など。日本記者クラブ会員。日本ペンクラブ会員。ニコニコ動画『吉村剛史のアジア新聞録』『話し台湾・行き台湾』(Hyper J Channel)等でMC、コメンテーターを担当。