常に悪いのは政府で自分たちは犠牲者

 我が家の長男が高校1年生の時、セウォル号被害者追悼のシンボルマークである黄色いリボンのキーホルダーを学校で作ってきたことがある。

「えー、ナニコレ? ママも欲しいなー」とわざと冗談で言ったら、「いっぱい余ってたよ、欲しかったら明日また持ってきてあげるよ」という答えが返ってきた。

 息子の高校は、もともと左翼思想が強いことは分かっていたが、学校の予算でこんなこともしていることに、改めて感心した。

 韓国で犠牲者が出る大きな事故が起こるたびに、ニュースから流れてくるセリフがある。

「これは政府の責任で、自分たちはその犠牲者だ」「殺人だ」

 韓国は昔から「安全不感症」と呼ばれ、普段から危ないなと思うような場所でも放っておかれることが多く、事故や災害が起こって初めて騒ぐ。かなり騒ぐ。そして、それが政府の責任にされてしまうのである。

 現在も事故当時を振り返る新聞記事には「梨泰院惨事」と表記される。この表現のニュアンスがまた問題なのだ。

 韓国語は「惨事」と「惨死」が同じ発音表記で「チャムサ」になるのだが、漢字を知らない韓国人にはどちらかの区別がつかない。もしかしたら、使っている当事者たちも分かっていないかもしれない。

 このように「悪いのは政府、被害者は私たち」と、市民の感情と世論を動かして、正義感のようなものを扇動しているように見える。

 大半の韓国人は「自分が正しい」と思っている。それが誰のどのような影響を受けているか、そういうことは全く考えずに、「自分の考えは、自分が思いついたものだからそれが正しい」と思い込んでいる。対立が起こった時には、拍車がかかりもっと激しい思い込みになる。

 だから韓国人は、トラブルが発生した時に自分の感情に接触する何らかのものを見つけると、相手を激しく攻撃するのだ。