明るみに出た信用失墜を招く動き

 防衛省(当時は防衛庁)の「釣り船の方に過失があった」という一方的な見解は崩れた。さらに、海上自衛隊による証拠書類の破棄、乗組員の口裏合わせ、また事故直後の通報の遅れや日頃の海上ルールを無視した運行なども改めて問題視された。それは我が国の防衛を担っているという自衛隊の自負からくる驕りと受け止められた。

 また、防衛という名のもとには数々の隠蔽や秘密があるのではないか、という問題を浮き彫りにした事件でもあった。

訓練を終え浦賀沖に入る海上自衛隊護衛艦(写真:橋本 昇)
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 この事件で「なだしお」の艦長と「第一富士丸」の船長は刑事事件として在宅起訴された。そして1992年の判決において「なだしお」側に主因があることが認定されたが、双方の回避の遅れということでそれぞれに執行猶予つきの有罪判決が言い渡された。

 その後両名は職を離れ犠牲者への謝罪の日々を送ったと聞く。30人という多くの犠牲者、責任逃れ、隠蔽工作と何とも後味の悪い事件ではあった。