日テレと小学館は認識の食い違いが目立つが、これもデジタルツールに頼ったことが理由の1つに違いない。対面での話し合いだと、相手の言葉の真意や意図を考える。理解できなかったら、何度でも問い直す。しかし、デジタルツールでの文字情報のやり取りだと、相手の言葉を勝手に解釈してしまいがちだ。

なぜ脚本家のSNS書き込みを放置したのか

 最後はやはりデジタルツールであるSNSが芦原さんの心的負担を決定的なものにした。女性脚本家による制作の裏側の公開である。

 芦原さんが第9回と最終回の脚本を書き、そのために女性脚本家の名前がクレジットされなかったことに端を発した。このSNSの投稿は最終回放送日である昨年12月24日に行われた。

「芦原氏の我儘による脚本家の変更がされたとも読める内容だった。小学館担当者は日本テレビ側に善処を求めたが、進展せず、芦原氏は作画ができないほど悩むことになった」(小学館の報告書)

 女性脚本家の投稿は「最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験のない事態で困惑したが、残念ながら急きょ協力という形になった」などというもの。日テレ制作陣は小学館から対応を求められたが、「表現の自由の問題がある」などと考え、女性脚本家への削除要請などは行わなかった。

 日テレ制作陣は削除を求めるには法的根拠が乏しいと判断した。しかし、人間同士が暮らす社会には法律のほかにモラルが存在する。そのうえ、芦原さんと日テレ制作陣は曲がりなりにもワンチームであったはず。芦原さんが傷つきかねない投稿と小学館から指摘されたら、即座に削除に向けた最大限の努力をすべきだった。

「法律に反していなかったら何をやっても許される」。近年、そんな風潮が社会に広まりつつある。社会通念をつくり上げる立場のコンテンツ産業もそうであるとすれば、SNSなどで傷つく人が増える一方ではないか。

 日テレは報告書の中でこう提言している。

「関係者との間で締結する契約書の秘密保持条項等において、SNSの利用に関する条項を定型的に追加することも一考であろう」

 もっと分かりやすく単純に「SNSで関係者を傷つけたと判断したら、即座に契約を解除する」とすべきだろう。モラル的にはそれが自然であるはずだ。

【高堀冬彦】
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。