道長も驚くほどカタブツだった為時の逸話

 今回の放送では、為時が漢詩を詠んで、浩歌(ハオゴー)演じる朱仁聡(しゅじんそう)ら宋の商人たちから、激賞される場面があった。

 実際にも、朱仁聡と共にやってきた海商の羌世昌(きょうせしょう)と漢詩を詠み交わしたようだ。平安中期の漢詩集『本朝麗藻』(ほんちょうれいそう)には、為時の漢詩「覲謁之後以詩贈大宋羌世昌」が残されており、「覲謁の後、詩を以って大宋客の羌世昌に贈る」とある。

 朱仁聡もまた実在の人物だ。記録によると、暴力事件や金銭受領トラブルを起こしたとされているが、若狭・越前国に5年も滞在しているということは、それほどの大きな事態には発展しなかったのであろう。

 ドラマでも、今のところ為時は宋人たちとうまく関係を築いているように見える。どちらかいうと、厄介なのは地元の役人だ。玉置孝匡演じる源光雅は、なんとか新しい国司である為時を懐柔しようと、ワイロを送っている。

 だが、為時はそれを拒否。おそらく取り込まれたのであろう前任者とは、スタンスが異なることを見せつけた。そんな為時の融通の利かなさは、娘の紫式部が日記に書き記している。

 寛弘7(1010)年正月2日、藤原道長が邸宅で宴を開催し、為時を招いた。為時には音楽の才もあったので、管弦を弾いてもらおうと考えたようだ。

 ところが、宴が終わるや否や、為時はさっさと席を立ち、帰ってしまったという。その姿に、紫式部は道長から「お前のお父さんはひねくれている」と、あきれられている。

 そんな逸話からしても、おそらく実際の為時もワイロは決して受け取らなさそうだ。また、ドラマでの為時は、誰の批判もしないのが清々しい。自分を官職につかせなかった藤原兼家ですらも恨まなかった。

 為時の実直さが、越前の人々にどんなふうに影響を与えるのかにも注目したい。