泉湧寺の清少納言歌碑泉湧寺の清少納言歌碑(写真:PIXTA)

『源氏物語』の作者、紫式部を主人公にした『光る君へ』。NHK大河ドラマでは、初めて平安中期の貴族社会を舞台に選び、注目されている。第21回「旅立ち」では、藤原伊周(これちか)が不祥事によって太宰府への左遷が決まると、一条天皇の皇后(中宮)で、伊周の妹・定子は出家を決意。一条天皇は「もう二度と会えないのか」と悲嘆に暮れるが、定子はひそかに身ごもっており……。今回の見どころについて、『偉人名言迷言事典』など紫式部を取り上げた著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

往生際が悪く逃亡を図った藤原伊周

「北山から宇治まで探しても見つからんとは……」

 ロバート秋山演じる藤原実資(さねすけ)から報告を受けると、柄本佑演じる藤原道長がそうつぶやいた。

 花山院に矢を放つという前代未聞の事件(長徳の変)を起こしたことで、三浦翔平演じる藤原伊周は、太宰府へと送られることが決まった。にもかかわらず、伊周が逃げ回っているのだ。

 ドラマでは、花山院に矢を放った実行犯は、伊周の弟・隆家という設定なので、伊周はやや気の毒ではあるものの、逃げたところで状況は悪化するばかり。いきなり剃髪して出家に踏み切った、高畑充希演じる妹の藤原定子の方が、よほど肝が据わっている。

 実際にも、伊周はなかなか処分に応じなかったらしい。藤原実資の『小右記』(しょうゆうき)でも、次のように書かれている。「権帥」は藤原伊周、「出雲権守」は隆家のことだ。

「権帥・出雲権守、共に中宮の御所に候じ、出だすべからず」
(権帥と出雲権守は、共に中宮の所にこもっており、出てくることができなかった)

 その後、ドラマでは隆家が処分を受け入れて出雲へと発つ。『小右記』を見ても、先に隆家が観念したようだ。

「仍(よ)りて宣旨を降し、夜大殿の戸を撤し破る。仍りて其の責に堪へず、隆家、出で来 たる」
(そこで一条天皇の命令によって、寝所の戸を破り壊した。すると自分のせいだと耐えられずに、隆家は出てきた)

 そのあとに「網代車に乗らしむ。病を称せるに依るなり」と続くことから、病気を理由にして網代車(あじろぐるま)という、公家が使用した牛車によって、出雲へと向かった。

 その一方で、兄の伊周が行方をくらましたのも事実らしい。『小右記』でこんな記述がある。

「権帥伊周、逃げ隠る。宮司をして御在所及び所々を捜さしむ。已に其の身無し」
(権帥伊周は逃げ隠れた。宮司に中宮の居所やあちこちを捜させたが、まったく姿が見当たらなかった)