民主主義の基本は国民参加の選挙

 民主主義国家の基本は選挙で成り立っているが、各種選挙の投票率を見る限りにおいては民主主義とは言えない状況が現出しているのではないだろうか。

 成人した国民全てに選挙権が与えられているが、半分どころか30%台や20%台さえある。選挙権を有しながら行使しない点で形容不一致もいいところだ。

 何としてもこうした状況を正し、形容一致で政治を盛り上げ、国家の存続・発展を図らなければならない。

 投票率が上がらない理由の一つには、「自分の1票で何も変わりはしない」という諦めの境地があるように思えてならない。

 選挙民をそうした諦めの境地に至らせている要因は種々あろうが、そうした一つに世襲化を挙げてもいいのではないだろうか。

 そうであるならば、まずは世襲化の改革を試みるのも一案であろう。

立候補者の環境の公平性

 選挙では国民に奉仕する公僕の意識をしっかり持った人物を選ばなければならない。そのためには立候補者の周辺環境を努めて同一条件にして、「政見」によって競えるようにすべきである。

 顔が売れ、地盤をがっちり固めたものが有利となり、結果が見え見えであれば選挙が白けるのも当然である。

 知名度の低い人物が日本を、地域を活性化しようと思い立っても、知名度が高く支持者をしっかり掴み選挙資金も豊富と思われる世襲議員の強みには敵わない。

 多くの場合は、そう考えただけで立候補を諦めざるを得ない。

 こうしてどんどん世襲議員が誕生しやすい環境が育ってきた結果が現状(政治の停滞)である。

 一概に世襲議員が悪いというわけではないが、政治に関心ある有意な人物の出馬を削いでいることは確かである。

 選挙権を得て60余年、定年後の30年の中でいくつもの選挙にも直接間接に関わってきたが、世襲議員が正当な競争を阻んでいると思うこと屡々であった。

 公平といえども時代によって制限が設けられてきた。

 当初は男子のみ、その後は所得制限の時もあった。今日では年齢制限だけであるが、土俵となる環境の公平性と有意な政治家発掘の視点から世襲の制限も許されていいと思う。

 もっとも法案を制定するのは現職議員たちであるから大いなる反対が予想されるが、国民の賛同・支持は得やすいのではないだろうか。

 具体的な制限試案としては、引退議員の家系と親族は次回の選挙に限り立候補できないようにしてはいかがであろうか。

 その場合は当然ながら前議員とは無関係の人士が当選する。その次の選挙では世襲的な親族も立候補でき、前回当選した議員との真の政策論戦が期待できる。

 有権者の選択肢も増え、日本の停滞した政治の刷新に寄与するのは大いに期待できるのではないだろうか。