ロシア・ウクライナ戦争が始まってから2月24日で2年となる。
テレビ画面に映し出されるウクライナの被災者の痛々しい姿や廃墟と化した家並みを見るにつけ、戦争の悲惨さを感じずにはいられない。
2月19日には日本とウクライナの政府などがウクライナの戦後を見据えた「日ウクライナ経済復興推進会議」を開いた。
国際機関などの試算では復旧・復興需要は少なくも4110億ドル(約60兆円)に上るとされ、ウクライナの国家予算の何年分にも相当する。
多くの戦死傷者と破壊しかもたらさず、国民を塗炭の苦しみに追いやる戦争はなんとしても避けなければならない。
そうした思いが募っていた矢先の昨年後半にはハマスがイスラエルを攻撃して新たな戦争が始まった。
ガザ地区から逃げ惑う無辜の人々、そして犠牲者が日々増大していくさまを見せつけられている。戦争はどんなことがあっても避けなければならない思いは一段と強くなる。
油断と抑止力不足が戦争を誘引した
ウクライナやイスラエルがある日突然に戦争に巻き込まれたように、戦争は予期せず起きる。
警戒を怠った「油断」と相手を甘く見た「抑止力(の不足)」という2つの要因が大いに関係しているといえよう。
ウクライナは2014年にクリミア半島を占領され、また東南部4州には親露勢力が活動していたので警戒していたにもかかわらず侵略された。
同盟国がない上に、抑止力や継戦能力もほとんどないとロシアに思われたのだ。
他方のイスラエルは世界最強と言われた情報機関があったがハマスによる一連の攻撃を見抜けなかった油断があった。
いずれの戦局においても国家の存亡や名誉がかかっており、休戦はおろか一時的な停戦にさえ応じ難い状況で、人的損耗と国土の荒廃は進む一方である。
改めて、戦争はやるべきではない。
そのためには警戒を怠らないとともに、侵攻した相手国に取り返しのつかない莫大な損害を与えると思わせるに十分な戦力を抑止力として普段から整備しておく必要がある。