世界の生涯処女・童貞・未婚の偉人たち

 一般的には、異性と交際をする、セックスをする、そして結婚をするということは、そこでかなりのエネルギーと膨大な時間がとられがちだ。

 となれば、自分のやりたいことややるべきことが妨げられて、そうした制約や束縛をストレスとして感じることもあるだろう。

 異性との交際やセックスを望まない人、そして生涯、独身を貫く人は今に始まったことでもなく、またそれが不幸な人生ということでは決してない。

 一生、異性と交際せず、セックスもせずに童貞、処女のまま、もしくは性交経験があっても独身を貫きながら、歴史の名を残した偉人も数多く存在する。

 なぜ、彼らはセックス、交際、結婚をしなかったのか。

 性に対して関心がない、性欲が乏しい、性への嫌悪感がある、宗教的な理由による、仕事や使命の妨げになるなど、性行為そのものを望んでいなかったということもあるだろう。

 神聖ローマ帝国皇帝でザクセン朝第5代国王・ハインリヒ2世(973-1024)は、信仰心の深い敬虔で禁欲的な皇帝で、普遍的なキリスト教帝国を目指して、神権的な帝国統治に尽力した賢君である。

 ハインリヒ2世は、皇后クニグンデ・フォン・ルクセンブルク(975頃-1040)という妻がいたが、互いに純潔を誓い、肉体関係を持たなかったため、皇后は生涯処女であった。

 皇帝、皇后の夫婦ともにカトリック教会から列聖されている。

 フィレンツェ共和国(イタリア)ルネサンスを代表するレオナルド・ダ・ビンチ(1452-1519)は、『モナ・リザ』や『最後の晩餐』など遠近法や立体表現などを取り入れた画家として有名だ。

 一方で、芸術家、画家でありながら、建築、幾何学、解剖学、天文学、物理学、化学、流体力学、航空力学、土木工学、軍事工学、にも長けた「万能の天才」と称されている。

 そんなレオナルド・ダビンチが生涯独身なのは、彼が同性愛者だったためとされる。

 フィレンツェの1476年の裁判記録には、当時24歳だったダビンチと3人の青年が、男娼とトラブルになった記録が残されており、同性愛の容疑をかけられたとある。

 また、弟子であるサライとメルツィとの間に親密な関係にあったことが知られている。

 ダビンチが亡くなった時、レオナルドの兄弟に、その死を知らせる手紙を記したメルツィは、ダビンチが弟子の自分たちを、いかに愛していたかを伝えている。

 イタリア・ルネサンスの彫刻家で詩人のミケランジェロ・ブオナローティ (1475-1564)は、『ダビデ像』や『最後の審判』などの代表作をはじめ数多くの作品を世に残し、サン・ピエトロ大聖堂の建築にも携わった。

 ミケランジェロが存命していたルネサンス期、すでに彼が当時の人々から畏敬の念を抱かれ、「万能の人」「神から愛された男」と賞されていた。

 ミケランジェロの伝記を残したアスカニオ・コンディヴィは、ミケランジェロが「修道僧のように貞節」と記している。

 女性との交流はあったが、完全なプラトニックな関係だった。

 相手は40歳代後半の詩人で貴族階級の未亡人ヴィットリア・コロンナ。ミケランジェロはヴィットリアに大きな愛情を抱き、彼女が死去するまで2人の交歓は続いた。

 ミケランジェロは、「ヴィットリアの手にキスをしたことはあったが、頬にキスをしなかったことが生涯唯一の後悔だ」と語り、自制したことを悔やんでいたことが、ミケランジェロの伝記に綴られている。

 木から落ちるリンゴを見て万有引力の法則に気づいた、英国物理学者で天文学者のアイザック・ニュートン(1642-1727)は、万有引力の法則以外にも微積分法の発明をし、光のスペクトル分析などの功績を残したことが知られている。

 そのニュートンは生涯童貞とされ、射精すらせずに生涯を終えたといわれている。

 だが、彼は母の知り合いである薬剤師のクラーク家で下宿生活をしていた18歳の時、クラーク家の養女・ストーリーと恋仲となり婚約している。

 しかし、彼は研究のため独りの時間を優先した結果、法的な結婚はせず生涯独身だったが、彼女とは後年に至っても交際を続けている。

 ロマン派音楽の先駆とされ、かつ古典派音楽の集大成と称されるドイツの作曲家でピアニスト・ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)も生涯、独身を貫いた偉人である。

 ドイツの詩人・ゲーテ(1749-1832)は、ベートーヴェンを、「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈奔放な人柄だ」と評している。

 ベートーヴェンが変わり者というのは広く知られていたが、当時から他のどんな作曲家よりも敬愛されていたという。

 彼の死後、「不滅の恋人」宛に書かれた、送られることのなかった恋文が3通発見されている。

 この、「不滅の恋人」とは誰なのか。

 ピアニストとして一世を風靡したベートーヴェンは、多くの女性との交際した華々しい経歴を持つプレイボーイとして名を馳せており、発見された「不滅の恋人」に宛てた手紙は、実は氷山の一角ともいわれている。

 英国の哲学者アダム・スミス(1723-1790)は、近代経済学の父と称される。

「多くの場合、個人の利益の追求こそが社会を豊かにするのだ。それは豊かな社会を目的とするよりもずっと効果的だ」と経済学書『国富論』に記し、自由主義経済の台頭と資本主義への移行する中で、『国富論』は近現代経済における革命的な書物として位置づけられている。

 54歳になった時、アダム・スミスは子供が欲しいと願ったが、相応しい女性とは生涯、縁がなく、生涯独身だった。

 アール・ヌーヴォー期のバルセロナを中心に近現代スペインを代表する建築物を設計するなど活動した建築家・アントニ・ガウディ(1852-1926)。

 曲線、曲面を巧みに用い、多彩な装飾で幻想的な空間を現出するその建造物は今も多くの人を魅了している。

 建築家として様々な作品を残してきたガウディは、独身を貫き、生涯童貞を通した。

「人魚姫」「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」「雪の女王」など、約170の作品を世に出したハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805-1875)は、世界的童話作家であり詩人だ。

 アンデルセンは恋をしては破れ、結局、生涯独身を貫いた。実らなかった愛を彼は自らの創作童話作品に昇華させてきたという。

 彼の恋愛遍歴で、まず挙げられる女性は、初恋の女性リーボア・ヴォイクト、後援者ヨナス・コリンの娘ルイーゼ・コリン、ソプラノ歌手のイェニー・リンド(ジェニー・リンド)の3人。

 リーボアは同級生の姉妹で、彼は詩やラブレターを彼女に送るが、リーボアは他の男性と結婚し、アンデルセンの初恋は失恋に終わった。

 後年アンデルセンとリーボアは再会するのだが、自分をソデにした麗しい女性が「虫も寄らない中年のオバさん」に様変わりしていたことに驚き、彼は皮肉を込めて、若くて美しい娘が歳月で変容し、誰にも見向きもされなくなることを喩えた童話「コマとマリ」を記している。

 その後、王立劇場の支配人で政治家のアンデルセンの後援者ヨナス・コリンの娘ルイーゼに恋心を抱く。コリンはアンデルセンの才能を認め、彼を支えた第2の父といえる存在だった。

 だが、ルイーゼはそそくさと他の男と婚約。彼の悲しい恋心は「人魚姫」に昇華され、この作品がアンデルセンを童話作家として、その確固たる地位を確立した。

 3人目は、ソプラノ歌手・イェニー・リンドは「スウェーデンのナイチンゲール」と呼ばれ、彼の有名な童話の一つである「ナイチンゲール」は、イェニーのために2日で書き上げたものだ。

 アンデルセンは童話「ナイチンゲール」を彼女に手渡して、その思いを告白したのだが、彼女は彼を尊敬はしていたが求愛は受け入れることはなかった。

 1903年に、軽量で馬力のあるガソリンエンジンを搭載した複葉機を完成させ、人類史上初めての有人動力飛行を成功させたライト兄弟も、恋愛や結婚に関心がなく、生涯童貞だったといれている。