JR東海は中央新幹線(リニア)の2027年度内の開業を断念し、開業は2034年以降になるとの見解を示した。辞職する静岡県の川勝平太知事が静岡工区の着工を認めてこなかったことが大きくクローズアップされているが、川勝氏は当初からリニア建設に反対していたわけではなかった。両者の間に一体何があったのか。ライターの小川裕夫氏が、「静岡県vs JR東海」の戦いの歴史を振り返る。(JBpress編集部)
>>《混迷するリニア開業②》川勝知事が反対した静岡工区の遅れだけが延期の要因なのか、開業に立ちはだかる「大きな壁」
「東京五輪までに部分開業させたい」と語っていた川勝知事
JR東海は中央新幹線(リニア)を2027年度内に開業させることを目指してきたが、3月末に「2027年度の開業は困難。2034年以降になる」ことを正式に表明した。
これまでにも工事の遅れはたびたび指摘されてきた。JR東海は昨年も工事の遅れを受けて「2027年度“以降”」という濁した表現に終始してきた。今回の開業延期はJR東海が建設工事の遅れを初めて認めた格好で、その原因と報道されているのが、南アルプスを約8.9kmにわたって貫く「静岡工区」だ。
職業差別発言などで辞職を決めた静岡県の川勝平太知事が同区の着工に反対してきたことが連日テレビ・新聞・ネットといったニュース媒体をにぎわせているので、川勝知事もしくは静岡工区がリニアの開業延期の原因であるかのように認識している人は少なくないだろう。確かに、川勝知事は静岡工区の着工をかたくなに認めていない。それがリニア開業の遅れにつながっていることは間違いないが、多くの要因のひとつでしかない。
そもそも川勝知事は、当初からリニアに反対していたわけではなかった。県知事就任以降の記録を精査する限り、少なくとも2014年まではリニアに過大な期待を寄せていたことがうかがえる。
その証拠のひとつと言えるのが、2014年に土木学会が主催したシンポジウム「東海道新幹線と首都高 1964東京オリンピックに始まる50年の奇跡」だ。ここに川勝知事をはじめ、JR東海の代表取締役名誉会長(当時)の葛西敬之氏や、常務執行役員(当時)の小菅俊一氏も登壇した。
シンポジウムのテーマが「東海道新幹線と首都高」というだけあって、JR東海の2人はリニアについては触れなかったが、川勝知事は東海道新幹線の話をそこそこに切り上げ、延々とリニア開業への期待を語っている。いかにも空気が読めない川勝知事らしい立ち振る舞いだが、それだけリニアに対する思い入れもあったのだろう。
川勝知事は初当選時こそ苦戦を強いられたが、2選目は対立候補にダブルスコアで圧勝。シンポジウム開催時は、県知事としてもっとも勢いに乗っていた時期でもある。仮に、リニア反対を表明するなら、このときが絶好のチャンスだった。
にもかかわらず、シンポジウムでは「JR東海が進めているリニア工事によって大井川水系の水が毎秒2トンも失われるというショッキングな報告を出したため、静岡県ではリニアの建設反対運動が起きている」と県内の状況を説明しながらも、「2020年の東京五輪までに東京―山梨間を(部分)開業させたい」と語っている。