3月28日に開廷された「松本人志」裁判、第1回口頭弁論以降の所作が、およそ芸人のそれではないのですが、当初はそれを指摘する声を見かけませんでした。
今のメディアはすでに、そういう分別が分からない世代の記者たちなのでしょう。
そんなことを思っていたら、4月4日発売の「フライデー」で中田カウスから正論が出てきました。
「松本はアウトやで。本当に客、素人に手をつけたのであれば」という分かりやすい一刀両断。
確かにその通り。玄人と素人の区別がついていない、素人の振る舞いです。
「お客を大事にせなあかん、という芸人の意識があったらそういう気分にならへん」
中田カウスについては「怪芸人」とも呼ばれ、「黒い交際」なども報じられる人物ですが、ここで言っているのは「芸人の所作」ということでしょう。
いま「松本人志」が見せている「裁判」「名誉棄損」あるいは「多額の損害賠償請求」など、どれ一つ取っても、仮に勝ったとしてもヒイキ筋から愛想を尽かされる、全く「芸人」の所作ではないことは、指摘されてよいと思います。
芸人として考えるなら「不様」の一語に尽きている。
離婚その他、芸能人の裁判沙汰は決して珍しいことではありません。しかしこのところ芸能「関係者」がメディアを相手取って訴訟を起こしたりしているのは、芸人の所作と無関係な、メディア露出は多くても「芸」とは無関係な人たちでしょう。
ということで、ここで3歩下がって考えてみます。
雑誌にゴシップを突っこまれ、逆にメディアを相手取って裁判沙汰にする芸人が仮に勝訴したとして、後々人気商売の「芸人」がメディアとうまくやっていけるでしょうか?
そもそも、そんな人間が画面に登場して、お客が「笑えるか」?
私は少なくとも、およそそんな気にはなりませんし、そういうことをかつて芸人の世界は良くわきまえていた。
そういう「身の振り」を「芸人の所作」と言っています。後述する上岡龍太郎氏の引き際はどうだったでしょう・・・「粋」の一語に尽きます。
翻って現状は・・・言わぬが花、としか申しようもない。
江戸、明治の昔から昭和末期までの芸人の世界には「師匠と弟子」の関係があり、また「芸名」がありました。
それがなし崩しになってしまった一因が、昭和57(1982)年に作られた「吉本総合芸能学院(NSC)」設立にあり、松本人志に対する中田カウスや西川のりおなどの辛口の指摘の根もまた、ここにあります。