長渕剛の「乾杯」は今から30年後、40年後には日本の民謡として歌われている可能性がある

 早いもので2024年も3月となり、もう少しで4分の1が終わってしまう、あわただしい年度末となりました。

 お正月に連載した「松本人志」の続稿が残っていますが、昨年から大学で負う責任が増えてしまい、年明けからは立錐の余地ないスケジュールで連載入稿が遅れています。この場を借りてお詫びを記したいと思います。

 さて「松本人志」関連の芸能スキャンダルがやや峠を越した頃、後を追うように出てきた醜聞の一つに「長渕剛」に関連する話題がありました。

 いまここで「長渕剛」に関するスキャンダルに触れることはありません。十分に裏も取る余裕が(スケジュール上)取ることができませんし、そもそも言及する意味があるか疑わしい。

 一連の報道を見て私が違和感を持ったのは、「大物ミュージシャン」という表現でした。いったい、いつから長渕剛が「大物ミュージシャン」になったのか?

 これが「大物タレント」「大物芸能人」というのであれば、分からない話ではありません。

 しかし、少なくとも彼がデビューした直後の1970~80年代初頭、「長渕剛」という芸能人は「歌謡曲」的な観点では何一つ見るべきものがなく、当時のプロからは「何が良いのか分からない」と呆れられていた。

 これは事実です。

 はっきりこれを公共の電波で明言したのは、作曲家の黛敏郎氏、のちに私が代を継がせていただいた「題名のない音楽会」で、素人芸の典型としてこき下ろされました。

 その論旨から確認してみましょう。