「毎日のように一緒にいた人が急にいなくなったことですごいショックを受けている中で、ウソの記事を書かれて、毎日生きるのがやっとの状態でした。友人が毎日のように来てくれて、自殺しないように守ってくれました。1年以上たった今でも、1時間おきぐらいに目が覚めたりして、仲本さんが突然いなくなったショックからは立ち直れていません」
と純歌は言葉を絞り出した。
「報道の自由」のはき違え
仲本の死で憔悴していた純歌は、当時は訴訟する気力も失っていた。だがそのうち、最愛の夫を奪ったと言ってもいい週刊誌の暴挙をどうしても許せない思いが強くなっていった。
「当初は、週刊誌に書かれたところでどうしようもなく、肉体的にも精神的にも反撃できる力もなかったけど、『これはひどいよ、犯罪だよ』とずっと言ってくれる人がいて、生きているのが不思議なぐらい追い詰められていましたから、こういう報道を私は許していいものかというのもありました」
「あたかも私が犯罪者のように扱われて、事実だと思っている人が多いじゃないですか。『報道の自由』を、人権とかを無視して自分の収入のために行使するのを許してはいけないと思いました」(純歌)
辛い日を思い出して感情が昂ったのか、言葉に詰まり、涙を浮かべる場面もあった。