「週刊新潮」の記事に憤っていた仲本工事
記者会見では、仲本と純歌の店である目黒区・自由が丘の居酒屋「仲本家JUNKAの台所」とその隣のスナック「ピンクローズ」の2階はそれぞれ居宅となっていたが、ここを「ゴミ屋敷」と報道され、さらに純歌は仲本をゴミ屋敷に置き去りにしたまま世話をせずに横浜市内で別居していると記事にした週刊新潮への批判から始まった。
「週刊新潮」の取材に対して仲本は、「そのような事実はない」と否定していたにもかかわらず、上記のような記事が掲載された。そのことに対して仲本が激怒していたことも記者会見では明らかにされた。
仲本が交通事故で亡くなるのは、その「週刊新潮」発売の5日後のことだ。
仲本が亡くなる前日、純歌は仲本に電話した。
「(住んでいた)横浜の家の方に記者がうろうろしていたのを見かけたもので、仲本さんに相談したら『俺が早く(横浜に)行ってやるよ』と。それで(翌朝、横浜に)来たときに、事故に遭って亡くなりました。週刊新潮の記事が載らなければまだ元気でいると思います」(純歌)
だが、仲本の死後も、仲本と純歌の関係を書き立てる週刊誌はますます暴走していった。