年に1度は子どもと引っ越し
いっぽう、アーリーンにとっても、強制退去の法廷は今回が初めてではなかった。初回は16年前、22歳のときだった。18歳以降、もう20回は家を借りてきた。年に1度は子どもたちと引っ越しをしている計算になる。強制退去させられれば、年に複数回だ。
だが、家主たちには偽名を使ってきたから、アーリーンの強制退去の記録を見ると、その回数はずっと少ない。疲れきっている裁判所の書記官は、大半の家主と同様、わざわざ手を止めて身分証明書を求めることなどしない。
ミルウォーキー市はその昔、クリスマスのころには強制退去を中断していた。ところが1991年、ある家主が米国自由人権協会に対して、この慣習は宗教上の祝祭に配慮していて不公平だと主張したため、クリスマスにも変わらず強制退去が実施されるようになってしまった。
昔ながらの家主のなかには、いまでも親切心からか、あるいは習慣からか、もしくはこの慣習が廃止されたのを知らないからか、この時期は強制退去を申し立てない人もいる。だが、シェリーナは違った。
審理が次々と進み、弁護士たちはとっくに法廷から姿を消していた(弁護士がつく審理は最初におこなわれる)。あとに残っているのは裁判所の職員と呼びだし係だけで、彼女たちは一時間ほど前から、もうあくびを隠そうともしていない。
2時間待っていたシェリーナがようやく通路に出てきて、アーリーンが顔を上げると、法廷に続くドアをあけたまま言った。
「順番がきたわよ」
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