東京・練馬区にある荘埜園を訪れた。柿の果樹園があり、そこで摘み取りができて、隣の直売所では販売もしている。この付近は都市化が急激に進み、気温などの環境は様変わりした。そこに立ち続けた柿の木はそれをいわば「定点観測」してきたわけだ。何が起きてきたか知りたくて、江戸東京野菜研究会の大竹道茂先生のご紹介で昨年の秋に訪れた。
(杉山 大志:キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)
木の形(樹形)を整えることが柿の栽培の基本
立派な柿の木があった。昭和30年ごろからここでは栽培を始めたが、その時に植えたものであり、樹齢はじつに70年になるという。
枝ぶりはどっしりして風格がある(写真1)。バランスよく太い枝があり、細かい余計な枝はない。脚立を使えば必要な作業ができるよう、高さは低めで2、3メートル程度に抑えている。このように木の形(樹形)を整えることが柿の栽培の基本だという。
柿の実はたわわになっていた。きちんと手入れをしてきたおかげで、樹齢70年になっても全く衰えしらずだということだ。十数年前からこの果樹園を4代目として継いだご主人の荘埜晃一さんが話してくれた。
都内では、少し郊外に行くとかなり高く成長した柿の木があり、そのてっぺんの辺りに実がなっているのが放置されているのをよく見かける。
かつては、ある程度の敷地のある家であれば、庭に柿の木をよく植えて屋敷柿と呼んでいた。その実はおやつとして人々に親しまれていた。
だが、いまでは穫って食べるのも手間がかかって面倒だとか、スーパーで便利に買えるようになったとか、住人がお年寄りばかりになってしまった、などの理由で、放置されることが多くなった。
放置するとまた柿の木はどんどん高くなり、簡単には実を穫ることもできなくなって、ますます悪循環に陥った。挙句、それを狙ってクマが出没するなどと、話題になる始末である。